2014年12月25日木曜日

年末の風習(韓国と日本の違い)

今週は、冬至があったり、天皇誕生日があったり、クリスマスがあったり、会社によっては納会があったりして、結構忙しい一週間ですね。
(ちなみにうちの会社の納会は12/29です。)

年末の風景が韓国と日本って微妙に異なるので、今日はその話を少々。

まずは、冬至。

冬至の風習としては、日本ではよくゆず湯に入ると耳にします。
さすが、温泉の豊かな国らしいなぁと思いながら、ちょっと調べたら、
小豆粥、かぼちゃの煮物を食べる習慣もあるそうですね。
これは、知りませんでした。

韓国でも、小豆粥を食べます。韓国の小豆粥は小豆と米を1:1にして作って、米と餅米で作ったお団子を入れます。そして味付けは塩。見た目は日本のおしるこによく似ていますが、食べると全然違う味です。

夜が一番長い日と言うこともあって、邪気が強まる日だと思ったのでしょう。
韓国のお化け、鬼は赤い色が苦手なので、小豆粥を食べると鬼が寄ってこないと言われています。

でも今年みたいに朔旦冬至には、小豆粥ではなく、小豆餅を作って食べます。
(最近は、小豆粥を食べる人も多くなってきましたが。。。)

次は、クリスマス。

日本は天皇誕生日が休日ですが、韓国ではクリスマスが休日です。
日本では、クリスマスが平日だと、天皇誕生日にクリスマスパーティーをする家も少なくないと思いますが、韓国では100%クリスマスの日にお祝いをします。

日本に来て、はじめのうちにはクリスマスが平日であることに違和感を感じました。
日本ほど、盛大にクリスマスを祝う国もないと思いますがね。

でも、日本での生活が長くなると、日本は基本無教(神社の文化がありますが)なので、クリスマスが平日だというのに納得がいき、むしろ、キリスト教が国教でもないのに祝日にしている韓国の方に違和感を感じたりもします。

韓国では(特にソウル)教会が多いので、日本よりは宗教的な色合いが濃いです。
町には募金箱を持って募金を募る人も多く、社会の貧困層を助けようという動きも活発になります。テレビではイエス様に関する映画が流れたりもします。教会では音楽会や演劇など様々なイベントが行われるし、子供は教会に行くと必ず何かもらえますよ。(笑)

それから、クリスマスに雪が降るとWhite Christmasと言って、とても喜ばれます。

そのほか、恋人同士でデートを楽しんだり、プレゼントを交換したりすることは、日本も韓国も変わらないです。

最後、年末年始。

年末になると、日本では、企業などで納会を行ったり、年越しそばを食べたりします。また、年末年始のお休みも長いですよね?
韓国は旧正月を祝うので、年末年始の休みは1月1日、たった一日しかありません。他の日は普通に働きます。でも、1月1日は、例のトックック(韓国のお餅汁)を食べて年(年齢)を取ります。

私は、今年も日本で新年を迎える予定です。今年も家族皆で年越しそばを食べ、おせちを食べることになると思いますが、特別にトックックも食べようかと思います。

皆さん、年末健康に気を付けて、そして良いお年をお迎えくださいませ。

←朝からクリスマスケーキを作っているパパと娘。
  アラレちゃんも頑張ってます(笑)








←結構、立派なケーキが出来上がりました。
 味もグッド!

2014年12月4日木曜日

私はセイウチ!

この頃寒くなったので、娘の衣替えをしてあげました。

最近娘は自分が着る服を自分で選んでいるのですが、
娘が「これがいい」と言いながら、服の引き出しから選んでくる服はあれもこれもすべて去年着ていた服ばっかり。去年着ていた服をうっすら覚えているのでしょうかね。着せてみると袖の長さもズボンの長さも七分目あたり。

娘が不思議そうに、「ママ、これ半袖?半ズボン?」と聞くので、
「あなたが大きくなったから短くなったんだね。」と説明してあげると、
娘はその後また小さい服を着ては「おっと、短い~」とケラケラ笑いながら、面白がっています。

私も、そんなに短くなるとは思わず、引き出しに入れておきましたが、
服のサイズが小さくなっていることで、娘の成長に気づいたようでちょっと不思議な感じがしました。

それ以外にも、最近子供の成長を感じたことがあります。

焼き魚をおかずで夕飯を食べる時でした。
焼き魚は食べたいが、ご飯(玄米)はあまり食べたくない娘。
ご飯にはまったく手が行かず、焼き魚ばかり食べている娘を見て、
私が「ご飯も食べて」と言ってご飯をスプーンに盛って娘に差し出したら、
娘が箸を二本口の両側にくわえてから

娘:「私はセイウチ。ご飯はたべません~。」
私:「あら、セイウチ、ご飯をお食べ。」
娘:「私は牙があるから、ご飯は食べられません~。」
私:「魚はどうです?魚も食べられないかな?セイウチは魚が大好きですよ?」
娘:「(箸を口からぽんと外して)牙を取って、魚をパクリ食べます。」
私:「(牙、取れるんだと思いながら)ご飯も牙を取って食べてください。」

結局、娘はおとなしく魚をおかずにご飯も食べてくれました。

以前、八景島の水族館でセイウチを見てから、よく箸を口にくわえてセイウチの真似をしていましたが、ご飯を食べたくないがために知恵を絞って、セイウチをもってくるとは。なんか大きくなったなぁと感じます。

←マンションのクリスマスツリーが嬉しい娘。
  隙があるとついつい裸足になろうとする娘です。
  日本では「子供は風の子」と言いますが、まさにその通りですね。


2014年11月28日金曜日

日本の七五三、初体験!

先週の日曜日、娘の七五三と言うことで神社へお参りに行ってきました。

韓国では100日目と1歳の誕生日を盛大に行うのですが、
日本では七五三を盛大にやるのですね。

七五三参りする前までは七五三って何をどうするんだと疑問だらけだったのですが、
終わって、あ~なるほど、こんなことかとやっと分かってきました。

着物を着て写真館で写真を撮り、
その足で神社に参拝に行くのが一つのパターンになっているらしいですね。

今回うちは、娘が着物を着て長時間いられるとは思えなかったので、
普段着で神社の七五三参りを先に済ますことにしました。

神社が混むという話を聞いたので、朝早めに出発しました。

娘は寝起きでしたが、753はどうでもよくて
以前七五三参りに着ていくために買っといた服を着れるということでご機嫌。
靴もおばあさんに買ってもらって七五三の日に履くんだよとママに言われてずっと我慢していたブーツが履けて朝からルンルンでした。

神社に行ってどうすればいいんだろうと思っていましたが、
神社の前には大きく七五三と書いてあって、ちゃんと矢印で案内されていました。

受付のようなところがあって、
巫女さんに色々説明されましたが、私はよくわからず、聞き流していましたが、
初穂料が5000円かかるということだけは耳に止まりました。
他の厄払いなどは3000円からなんですが、七五三は5000円からなんだとか。

初穂料って、こっちの気持ちのものだと思っていたので、決まった金額に一瞬びっくりしました。
夫がお金を払い、住所と娘の名前を書いた紙を渡した後、待合室に案内されました。
そこには、明らかに七五三で来たでしょうと言う人が何人かいたのですが、
そのほかの用事で来た人も大勢いました。

番号が呼ばれて、列になって神社の本堂の中に入りました。
座って待っていると神主が出てきて、なんか言い始めました。
最初仏教の経典みたいなものを読み上げているのかと思ったら、
「横浜市#’%$&%$」という声が聞こえて、
やっと受付で渡した紙に書いてある住所と名前を呼んでいるだということに気付きました。

よく聞いたら七五三だけでなく、安産を願うことや高校受験についても
言っていましたね。

夫によると、娘の住所と名前は頭の所で読まれたそうです。
私はまったく気づきませんでしたね。

娘は本堂の重々しい雰囲気がいやだったようで、本堂に入ってから「怖い、出る」を連発しましたが、夫と私がこそこそ遊んであげたりそてなんとか最後までその場にいることができました。

出口でお菓子とパズルとお守りが入っている紙袋をもらい、
これで七五三参りは終わりです。

写真はいつでも撮れるらしいので、そのうち時間を見つけ撮りに行こうと思っています。

ひゃ~、なんだか娘の3歳のお祝いというより、
私もやっぱり親だなと改めて思い知らせた気分でした。


←神社の待合室で

2014年10月29日水曜日

娘に虫歯が!

先日、娘に歯磨きをしていたら、前歯の裏に黒い斑点みたいなものを見つけました。

もしかしたら虫歯かなと思いまして、娘を歯科に連れて行くことにしました。

娘の前歯には前科(?)がありまして、実は前歯の左側が半分かけています。

去年今頃でしょうかね、
スーパーのカーターの下段に無理やり座ろうとしたときに前向きに転んだのですが、
どうやら前歯をぶつけてしまい、かけてしまったのです。

歯科に行って、かけたところだけ埋めてもらいましたが、
翌日また転び、埋めたところが取れてしまいました(汗)。

今度は一本の歯を全体に被せる形で、かけたところを直してもらいましたが、
被せた後、磨くときに、機械の音ですっかり怖くなった娘は大泣き、大暴れ。
治療が終わった時には、病院にいる皆さんが胸をなでおろすほどでした。

今回、娘を無事歯科に連れて行けるのでしょうか。

念のため、前日娘に明日歯医者さんのところに行くことをさらっと伝えました。
娘もさらっと聞いたのか、「OK」と返事が返ってきました。

当日、朝起きて、ご飯食べて、絵本読んで、
さ、行こう!と言ったところまでは何の問題もなかったのですが、
玄関のところで靴を履こうとしたときに、娘が急にトイレに行きたいと言い出しました。
トイレに行かせたら、今度は今の服が気に入らないから着替えると言い出し。。。
結局行かないと泣き崩れました。

病院の予約時間に間に合いそうもないことで、一瞬私に怒りがこみ上げてきたのですが、
私が怒るとさらに娘がパニックとなるので、娘に「怖くないよ」のセリフを数分間言い聞かせ、
ようやく家を出ました。

病院までは歩いて15分ほどかかるのですが、
行きながら私は頭の中で最悪のシナリオを想定し、どう対応しようかとあれこれ考えました。
入り口で入らないと泣いたら、担いで行こう。

でも、なんだか病院に行く間に娘は心のけじめがついたのか、あっさりと中に入り、
診察の椅子に横になり、先生の言うことをよく聞きました。

片っ方の手で鏡を持って自分の治療する様子を見ている娘、
口をゆすいだ後、コップを置いたらまた水が出てくるものだからまた口をゆすぎ、「もういい」と言っている娘、治療を終えて堂々と出ていく娘の姿を見ていると、なんだか、病院まで来るたったの15分間で娘がお姉さんになったような気がして、おかしいというか、ちょっと不思議でした。

娘の前歯の黒い斑点はやはり虫歯でした。
ほぼ毎日欠かさずに歯を磨いてあげたつもりだったのですが。。。
でも、先生からこの虫歯はまだ進行が浅いので問題ないのだが、以前かけた歯の神経が死んだみたいなので、そっちの治療が優先だと予想外の通知がありました。

娘の歯の治療はしばらく続きそうです。

←マンションの玄関先にあるライオンの銅像
  保育園の帰りに銅像の土台に立ち、一周するのが楽しいみたいです。










2014年10月22日水曜日

あなたの夫は白米派?玄米派?

今日は久々に、夫について少しお話してみようかと思います。

私が見た夫の特徴を言いますと、

・遺伝的な白髪で実際の年齢より常に上だと思われます。
・大きなお腹には夢と希望が詰まっていると主張しています。
・日本語以外の外国語は大っ嫌いだそうです。
 (外国語が嫌いなのに、外国人の奥さんと結婚するなんて、運命のいたずらですね。(笑))
・ぱっと見たときには何も考えていなさそうですが、中々しっかりとした哲学を持っています。
 だからなんでしょうか、ほめ言葉があまり通じません。
 (例えば愛する旦那様、尊敬する旦那様などの言葉が効果なし)
・聞き上手、合わせ上手です。
・できる/できないがはっきりしています。なので、頼みやすいですね。
・パソコン好きです。(家にPCとモニターが何台あるんだろう。。。)
・白米、麺、お肉が大好物です。
・トマト、ナス、セロリは嫌いかな。。。
 無理やり食べさせると食べてはくれますが、すぐ機嫌が悪くなります。
・本人はキレやすいと言っていますが、私は我慢強い方だと思います。
・気をゆるむとすぐ電池キレになります。(寝ちゃう。。。(-.,-;))
 特に娘に絵本を読んであげる時には電池キレが早いですね。
・3秒で寝ます。まさに秒殺というのはこういうことかも。
・家では年中夏男です。(半袖、半ズボン)
・結婚生活には私より向いているかも。
・私がいなくても生きていける男です。

こう羅列すると切りがないですね。

昨年11月から私が家族の健康を考えて、ご飯を玄米75%+餅米玄米25%に変えているのですが、
これが夫に大不評です。

でも、夫の尊敬できるところは、不満はもらすものの、それに対して白米にしろ!と怒ったりはしないこと。夫はどうしたかといいますと、玄米を避けるために、朝ご飯としてパスタ、ラーメンを自分で作って食べるようになりました。週末実家に行くと、白米を食べまくる!

もう玄米にしてから1年が経ち、夫もそろそろ白米をあきらめてくれないかなぁと思ってましたが、
夫の白米に対する愛情はまだまだ強いみたいです。

そう、そう。この前夫が健診を受けたのですが、コレステロールが高く、病院行きを命じられたそうです。それもそのはず。。そもそもメタボなのに、毎朝パスタ、ラーメンだったんだもの。

最近少し思ったのですが、
夫は自分の体を壊してまで私との結婚生活を維持するために頑張っているのでは?

私はあまりお肉が得意じゃないのですが、
立場を変えて、もし夫に毎日お肉をたべさせたら、たまらん、たまらん。
私なら離婚まで考えたかも知れません。

ん。。。悩みますね。
家の中だけは体にいいものを提供したい、体に悪いことを知りながら食べさせたくないという気持ち。
VS
そんなに嫌がるものを食べさせるっていいの?いつ死ぬか分からないからせめて食べたいものは思い存分たべさせようかという気持ち。

判断は、もう少し様子をみてからにしようかと思います。

ちなみに、娘もどうやら白米が好きみたいです。

←夫が娘とペットごっご(娘)を連れて家中を散歩していました。
  夫は娘にとって最高の飼い主かも(笑)。


2014年10月17日金曜日

娘の運動会に参加しました。

先週の日曜日、娘の保育園の運動会に参加しました。

運動会の参加はこれで3回目です。

1回目は、1歳時に。
この時の娘は、訳の分からないままママが手招きするから動いたという感じで、かろうじて競技をクリアしました。

2回目は、2歳時に。
この時はもの心が少しついた頃で、人見知り、場所見知りもする時期でした。
慣れない場所(保育園ではない)で、知らない人(子供の親達)がたくさんいたのが娘を不安にさせたようで、娘は大泣き。私から離れようとしなくて、結局娘の運動会なのに、娘は抱っこされたまま、私が選手になってしまいました(汗)。

そしていよいよ3回目。
新しい保育園にもすっかり慣れてきて、この頃かけっこなど、体を使った遊びに夢中の娘。
珍しく自ら運動会に行きたい~と言いました。

運動会の場所は家から車で1時間以上かかる「こどもの国」。
当日はおじいさん、おばあさんも一人の孫娘のためにお弁当を用意し、総出動してくれました。

今回の運動会は関東地域の保育園が参加することもあり、知らない人ばっかり。
もちろん場所も娘にとっては初めての場所。

私は娘の前科(?)があるので、娘が競技参加をトタキャンする可能性を念頭に入れて置くことにしました。冷静に対応しようと。

3歳児の競技は、「かけっこ」と「玉入れ」。

まず、かけっこ。
ルールは、親がまず15mの先に行き、その後子供が親の所まで走る。
親は子供が来たら、おんぶし、さらに15mを走ってゴールイン。

娘にやる?と声掛けったら、おや、うん!と返事が返ってきました。
走る順番を待っている間、娘にルールを説明しました。
娘は聞いたのかどうか、人の走りにはまったく興味なし、砂遊びを始めました。
大丈夫かい?

いざ、我らの順番。私が先に走り、娘を待っていたら、
娘が満面の笑顔で走ってきます。(ちゃんとルールを理解していたのですね。)
そして娘をおんぶしてゴールまで走りました。
なんとか娘が泣かずに競技に参加できたことにほっとしていたら、
背中で娘が一言、「ママ、もう一回!」。 

次は玉入れ。
ルールは、まず子供だけで玉投げをします。そして合図で親が参加。
かごを背負った人が動くので、追いかけながら投げなければならないのです。

今度は夫に参加してもらったので、私は観戦することができました。
娘、一人で行こうとするかなぁ。。と思いきや、
合図とともに前に進み、ちゃんとボールを拾い、かごを追いかけながら投げています。
途中で娘と夫を見失って様子が見えませんでしたが、
夫曰く、娘はちゃんと説明を聞いて、一生懸命やったとのことでした。

私は運動うんちで、子供の時には運動会がちっとも楽しくなかったのです。
娘も見るからあからさまに私の運動うんちの血を引いているようですが、
私と違って娘は競技一つ一つ楽しんだ様子で、それだけでも随分よかったと思います。

これからも出来栄えはともかく、
その時その時を楽しめる人間になるといいですね。

娘よ、運動会お疲れ様した!

←最近保育園で仲良しのお友達。
 この子、2歳7か月でまだしゃべれないのに、仲良しです(^^)。
 子供というのは心の付き合いの天才ですかね。






2014年10月3日金曜日

子育て、もう少し気持ちを楽に!

娘が以前通っていた保育園は一時保育制度もなく、一度決まった子供だけが通い、
親達も基本皆仕事を持っているので、子供を預ける時間もほとんど同じで、
一定の時間に送り迎えが行われていました。
その時も娘はいつもの友達、いつもの先生、いつもの場所で遊んでいました。

それに引き替え、今通っている保育園は一時保育制度があり、基本親の要望に応える形で、必要な時間だけ子供を預けるシステムなので、一日中、子供の出入りが激しいです。

最初、今の保育園に娘を入れる時に心配の一つは、人見知りが激しい娘が子供の出入りが激しい環境に慣れるかということでした。実際一か月間娘が登園の時間にものすごく泣いていたので、やはり無理かなぁ・・・と思っていたのです。

でも、子供の適応力はすごいですね。
ある朝、園に迎えに行く途中娘が「今日は誰が来るのかな」とつぶやくのです。
いつの間にか、娘は環境の変化を嫌がるのではなく、楽しむようになっていました。
いつもの友達と遊ぶのも楽しいし、新しい友達と遊ぶのも楽しいとのことでしょうね。
これはすごい!

娘にあまり良くないと思ったことが、むしろ娘を成長させてくれていたのです。
今回の件をみると、安易に子供にいいかどうかという判断を大人はすべきではないかもしれませんね。子供というのはどんな時にも、どんな状況でも学んで前に進む力を持っているような気がします。子供を信じ、もう少し気持ちを楽にして、子育てをしてもいいかもしれませんね。

ま、言葉ほど簡単ではありませんがね。。。



いつの間にか一人で滑るようになりまいた。娘は時々たっぷりと成長した姿で私を驚かせます。


2014年9月19日金曜日

仕事に復帰しました。娘はというと。。。

9月1日から仕事に復帰しました。
復帰してからの2週間はとてもバタバタしている毎日でしたが、
3週目だった今週はなんとか娘も私も慣れてきたような気がします。

9月に入って毎朝大泣きしながら保育園に行った娘でしたが、
今週に入ってからは一度ちょろっと涙を見せただけで、
ほとんど泣かずに登園しましたね。

最初毎日泣かれてた時には、
こんなに嫌がる娘を保育園に行かせるべきなのか、
母親としてどうすべきかとても悩んでいました。

とりあえずもっと様子をみようと思う一方で、
よく考えると以前は保育園に行かないと家の部屋の隅に閉じこもって出なかったのに、
今は毎日泣いてはいるが、家を出て登園しているのではないか。
なんと大進歩!!というところまで思いが届くと、
悩みで重くなっていた心も軽くなり、娘もとても愛おしく見えてきました。

私が気持ちを切り替えたからなんでしょうか、
娘も保育園に行くのを以前ほど苦には思っていない様子です。
(お母さんの気持ちが子供に伝わるというけど、このことでしょうかね。。。)

この頃は、明日も保育園行くの?お母さんのお迎えは何時?とか聞いて、
自分は保育園に行くものだと思っているようです。

こうやって見ると、なんと大、大、大の大進歩です。

やはり9か月の休職、無駄ではなかったのですね!

←パパも食べたい~!!
  いつも残るだろうと、一つしか買わないソフトアイスクリーム。
  でも、この日はほとんどひとつ食べてしまった娘!すごい。。。
  
  






2014年8月29日金曜日

来週から仕事に復帰します。

いよいよ育児のための休職期間も今日で最終日となり、
来週から仕事に復帰します。

わくわくする気持ちもありますが、正直大丈夫かなぁという心配もあります。

休職の9カ月を振り返ってみると、
最初は娘とどうやって過ごすのかという悩みもありましたが、
時間が経つにつれ、イライラするときが多かった娘に笑顔も増えてきて、
私もその娘のことを見ているのが楽しくなってきましたね。

確か、娘の反抗期で大変だった時もありましたが、
過ぎてみれば、それも良い思い出となり、
二人とも成長したのではと思います。

今週の月曜から娘は慣らし保育の時間を増やし、8時から17時まで保育園で過ごしています。
2日間は、「ママ、私保育園頑張って行って来る!」という娘の言葉に感動を受けたり、
3日間は、「ママ、私家で待っているから、お仕事行ってきて」という娘の泣き声に悲かったり。。。
でも、行きたくない日も一応一緒に玄関を出て保育園に向かって行ってくれる娘をみると、
以前と比べるとやはりお姉さんになったなぁと思います。

娘を迎えに行くと、毎日私の顔を見るやいなや満面の笑みを見せてくれる娘。
この時間はなんとも言えない、ママになった喜びを感じます。

これから一緒に過ごす時間は減りますが、
愛情がぎゅ~と詰まった濃厚な時間を作って行きたいと思います。


←保育園の帰り、パン屋によってパンを食べるのが
  楽しみの娘。
  

2014年8月21日木曜日

娘、保育園に通い始めました。

いよいよ、今週の月曜日から保育園に入園した娘。
母である私は、前日まで娘が心がころっと変わって保育園に行かない!と言い出すのではないかと
はらはらドキドキでした。

9月から本格的に通うため、8月はまず保育園に慣れてもらう期間です。
保育園に通園する上で、私の中で目標は8時に家を出ることです。
そうしないと、また会社に遅刻するからです。

登園初日の月曜日。
休職している間、寝坊介の娘でしたが、この頃少し早く寝るようになってきました。
しかし前日の夜は、ちょっと興奮気味でなかなか寝てくれず、11時くらいになってようやく寝入りました。
朝6時、くっすり寝ている娘を保育園にいくよ~と起こすと、
おや眠そうでしたが頑張って起きてくれました。
着替えて、朝御飯食べて、顔洗って、歯磨きして、トイレ行って、玄関を出ました。
時計を見るとお見事8時!

娘には以下の三つの注意点を言って置きました。
・先生に名前を呼ばれたら、ハキハキした声で返事すること。
・先生が何かおっしゃるときには、先生の目を見て聞くこと。
・先生に何か言う時には先生の目を見て言うこと。

保育園についたら、娘はちょっと不安そうでしたが、
私にバイバイしながら先生の手を繋いで中に入りました。

ヒュ~、よかった。
と一安心したのも束の間、家に帰ってくるとマンション中に響くほどの娘の泣き声が聞えてきました。
「家に帰る!あ~~~ん~~~」
どうやらプールに入った際に何かあったようです。(娘はプールが苦手です。)

不安な気持ちで13時に迎えに行ったら、娘が笑顔で出てきました。
楽しかったそうです。ヒュ~、よかった。胸をなで下ろしました。

登園二日目、火曜日。
早起きができたものの、娘は保育園に行かないと突然大泣きしました。
私が玄関を出るものだから、ついて来るものの、
「家で遊びたい、眠い、お腹空いた~」とあらゆる言い訳をしながら私を説得しようとします。
「ママ、仕事にいくのよ。おいしいものを食べるためにママが仕事にいくのよ。」という私の言葉に、
「ママ、仕事行かないで、おいしいもの要らない~」と号泣する娘。
しかたなく、むりやり娘を引っ張って保育園に連れて行きました。
家を8時に出たものの、保育園についた時間が8時半。
嫌がる娘を無理やり行かせたので、私も気持ちが晴れません。
13時に迎えに行って、笑顔で出てくる娘を見たときには、私が泣きそうになってしまいました。

登園三日目、水曜日。
この日も早起きができました。でも、やはり保育園に行かないとの一点張り。
私にできることは、「新しい保育園に通っているから、毎日お疲れだね」と娘の気持ちを察してあげることだけ。
娘はお母さんの口から保育園に行かなくてもいいよという言葉が出ないので、自分なりの策を取ります。それは、小食なのにご飯をたくさん食べること。そして絵本を次々と持ってきて読んでほしいと言うのです。どれも時間稼ぎ作戦です。
その娘を様子を見て、今にも「もうお腹いっぱいでしょう?絵本は保育園から帰ってきてから読んであげる」と言いたいところでしたが、娘なりの智恵を絞り出して、抵抗しているところがちょっと可哀相で、とりあえず娘の要望を全部受け入れてあげました。
娘がご飯を食べ終わり、絵本を読むのもまま落ち着いた時、娘を乳母車に載せて家を出ました。
娘は保育園に行かないと言いながらも、先生の手を繋いで中に入って行きました。
登園時間9時半。

登園四日目、木曜日、今朝です。
昨夜10時半に寝たのに、今朝6時起きです。とてもご機嫌で、パパを見送りしました。
ご飯を食べながら、娘が言います。
「私、保育園に行かないで家でお留守番する。私も大きくなったからできるよ。ママお仕事行って来るまで家で一人で待ってる。」
その後、娘はちゃんとご飯を食べ、ブロックで遊び、絵本もいっぱい読みました。
私も一通り支度が終わったので、出かけようとカバンを持ちあげると、娘が聞きます。
「ママ、どこいくの?」「ママはお仕事にいくのよ、だから、保育園に一緒に行こう。」
その瞬間、今までご機嫌だった娘が一変、保育園に行かないと泣きだしました。でも、以前ほどの体の抵抗なしに、乳母車に乗ってくれましたので、そのまま保育園へ。
保育園では、涙で目が痛いと言いながらも先生の手を繋いで中に入りました。
登園時間9時。

先生からは友達と仲よく遊んでいると言われましたが、
やはり娘にとって新しい環境はかなりしんどいようです。
だからでしょうか、最近もっと私に甘えるようになってきました。

でも、娘はきっとこの試練を克服する力を持っていると思います(信じたい!)。
ここは、私と娘が力を合わせて乗り越えて行きたいと思います。

←保育園から出てくる娘。
  初日の様子です。

2014年8月15日金曜日

育児において絵本のはじまり。。。

うちには他の家より多いのが一つあります。それは絵本。

娘に絵本を読み始めて2年半くらいになると思いますが、
最初リビングの隅っこに何冊かだけあった絵本が今やリビングの壁一つが絵本棚となっています。
何冊あるかは数えてたことはありませんが、日本語・韓国語・英語と合わせて1000冊近くはあるんじゃないでしょうか。
娘は隙があるとこの絵本棚の前に座り、本を取り出しては散らかす。これが割と好きです。

よその人がみると、いや夫からも馬鹿馬鹿しいと思われているこの家の風景。
これには少し訳があります。

娘が1歳になる前だったと思います。
子供にとって絵本の重要性が書いてある本を読んだことがあります。
子供が本と親しむように環境を作ってあげることは、子供になによりもいい財産を残してあげることだというような話が書いてありました。
当時、子供と時間の過ごし方が分からなくなっていた私が、これなら私にもできると思い、
始めたのが子供に思う存分絵本を読んであげることでした。

今になって思うのですが、日本という国は本の天国じゃないでしょうか。
日本人は当り前だと思っているかも知れませんが、
日本は本を読むのには、とても恵まれている国だと思います。

というもの、日本は読書が大衆化している国で、
図書館も充実しているし、本の値段は高いのですが、古書という手軽な値段で本を手に入れるシステムがあります。しかも古本屋もかなり繁盛してますね。漫画もいっぱい出版され、読まれています。

十数年前に初めて日本にきた時、
混んでいる電車の中でも片手に新聞や本を持って、読んでいる人がたくさんいたことがとっても印象的だったものです。(今は携帯を見ている人がほとんどですが。)
特にサラリーマンが電車の中で漫画を読んでる姿には驚きましたね。
当時の韓国では漫画は子供が読むものだという考え方があったからです。

私が読んだ本にはこんな内容が書いてありました。(うろ覚えなので正確じゃありませんが。)

・絵本を玩具の代わりにしてあげる。
 なんでも口に入れる時期には口に入れてもいい本を与える。
・絵本を見ながら子供と会話をする。
 絵本を子供と会話をするための媒体として利用する。
・子供の集中できる時間分だけ読んであげる。
 それが10秒なら10秒、1時間なら1時間だけ読んであげる。
・子供に絵本を読ませてあげて、嫌がるならすぐやめる。(理想は嫌がる直前に止めることですが)
・好きなだけ読んであげる。
 寝る時間だからと言って、今日はここまでと制限をかけない。
・繰り返しが多い幼児期には、本は借りるのではなく買ってあげる。
 買ってあげると、子供が本を破っても怒らなくて済むし、子供が読みたいときにはいつでも読める。
 自分のものだという愛着も生まれる。
・子供に合ったレベルの本を与える。

この内容を基に、娘が好きそうな絵本を探して一冊一冊買ってあげているうちに
このような状態になりました。
(続きは次の機会で。。。)

←外で遊ぶとついこんな顔に。。。
  娘はこの写真がお気に入りのようです。

2014年8月7日木曜日

仕事への復帰の準備を始めます・・・保育園の申請

最近9月からの仕事復帰を目指し、色々と慌しい日々を送っています。

まずは、子供の保育園の件。
保育園に慣れる期間も含め、8月から保育園に入園させたく、市役所に申請を出しました。
子供がまだ場所見知りをすることと、自分が遠いところの保育園まで送迎が難しいということで、
以前通っていた保育園を希望しましたが、結果はNG。席がないそうです。

保育園に入るのは大変だとよく耳にしますが、3歳の枠は特に厳しいみたいです。
子供が3歳になると、仕事を始めるお母さんたちが多いでしょうかね。

内心奇跡を期待していたところで、入園不可という連絡をいただき、
心がとても暗くなりました。

どうしよう。。。。

とりあえず、私立の保育園に席があるか問い合わせしてみようか。

幸い、私が住んでいるマンションの1階に私立保育園があります。
以前子供が1歳くらいになったとき、値段を聞きに行ったことがありますが、
かなり高かった覚えが。。。でも、今回は値段が少々高くても仕方ない。。。
それより、新しい保育園だけど、娘がすんなり行こうするのか、こっちの方が心配でした。

園に問い合わせしたら、3歳なら席が空いているそうでした。
園内を見学させていただけるということで、娘を連れて行きました。
娘の機嫌が悪くならないように、う~んと甘やかせるつもりで抱っこして歌を歌いながら。。。
娘は最初ちょっとびくびくしていましたが、少し時間が経つと、
ここで遊ぶと自ら言ってくれました。よかった!ひとつの壁をクリアしました。

次は値段。
0~2歳までは値段が高かいですが、3歳からはうんと安くなってました。
しかも、市で指定されている保育園に通った場合の値段との差額の半分は市から補助がもらえるらしいので、目玉が出るほどの値段ではなかったのです。
初回の入園金を含め、8時~18時までに約4万5千円程。
もうひとつの壁もクリア。

次は手続き。入園前に健康診断が必要だそうです。
先ほど病院に行ってきました。
身長90.6センチ、体重12キロ、問題なし。
ついでに3歳にできる予防接収(ポリオ追加、日本脳炎)も受けました。
泣くかなぁと思ったら、「痛くないよう」と言って全然平気な顔をしている娘。
(普通子供が泣かないところではよく泣くのに、子供が泣きそうなところでは泣かないのです。)

今週中、保育園に提出して手続きも完了しようと思っています。

登園は8月中にはお盆休み明けから2週間を予定しています。
保育師の話だと、3歳なら長時間保育園にいるほうが慣れやすいんだとか。

これで残りの壁は娘の心境の変化がないこと、
そして実際通ってみて問題ないことでしょうかね。

母親になるともっと心を大きくして大胆になるべきでしょうが、
なぜか子供の少しの変化にも大丈夫かと気になっちゃいますね。

 ←恐竜のティラノサウルスだと娘が見せてくれました。





2014年8月1日金曜日

韓国のお母さんは子供の誕生日が近づくと体が痛くなる?!

先週の土曜日、娘が無事3歳の誕生日を迎えました。家族3人、皆元気なことに感謝です。
この3年間楽しいこともあり、大変なこともあり、色々な経験をさせていただきましたが、
その分娘も私も成長できたと思います。
また、人間一人の成長は、たくさんの人の支えの上にあり得るということを思い知らされ、
命の尊さが身や心を持って分かりました。
娘には自分の命を大事にし、大きくなるにつれ少しでも周りに役に立つ存在になってくればと思います。

さて、話は変わりますが、
韓国ではお母さんたちは自分の子供の誕生日頃になると体調が悪くなるとよく言われます。
それは出産の後遺症みたいなものです。

日本ではあまりそういう話は耳にしませんね。実際お母さんたちから子供の誕生日が近くなったから
体調が悪いと聞いたこともありません。

これって韓国人だけに該当する話?
私は日本に住んでいますが、韓国人!
そういえば、私もこの頃体調が急に悪くなりましたね。

体調の変化はしょっちゅうあるものですから、そのうちよくなると思っていましたが、
体調の不良は、もしかしたら娘の誕生日がもうすぐだったからでしょうか。

どういうふうに体調が悪かったかというと、
7月に入ってから、なんか体がだるくて、むくみも激しくて、むくみによる足や指の痛みもありました。
やる気が出ないというか。。。
娘に夜遅くまで絵本を読んでとせがまれるので、そのため昼コーヒーでも飲むと、今度は眠れなくなったりして、睡眠もちゃんと取れない日も何日がありました。
娘の誕生日が過ぎてからは少しずつよくなってきているような気がします。

韓国の話、本当??それともたまたま?気のせい?

←Happy birthday!
  You are 3 years old!

2014年7月24日木曜日

私は桃太郎、鬼退治に行こう!

この頃娘は昔話が好きで、よく読んであげているのですが、
娘が一番好きな昔話は桃太郎みたいです。

桃太郎の本は夫の実家においてありますが、実家に遊びに行くたびに読んであげていました。
最初はただひたすら聞いているだけの娘でしたが、そのうち桃太郎ごっこが始まりました。

もちろん、娘は桃太郎。
おじいさんは鬼。
おじいさんの部屋は鬼ケ島。
そして小さいボールはきび団子。

娘はまずきび団子を作って(お話には作ってもらうのですが)、それをバケツに入れて
皆(おばあさん、夫、私)を誘います。誘い型も色々。

「鬼退治に鬼ケ島へ行こうよ。」
「きび団子あげるから行こう。」(お話では一緒に行くからきび団子をあげるのですがね。)

最初は娘の発想が面白く、皆、娘の話に乗って、それぞれの役を演じていましたが、
少し休みたいというタイミングに娘が「あ、そうだ。きび団子を作らなくちゃ」といって
また最初からの繰り返しになってループしてしまうので、
最近は娘が桃太郎に変身すると、家族皆、「またはじまった」という顔になります。

私はなんとか言い訳をしてたまには休ませていただいてるのですが、
おじいさん、おばあさんは例外なく孫の桃太郎ごっこに参加させられちゃいます。

面白いことは、最近は鬼に会うと、鬼にもきび団子をあげて仲直りするということ。
娘の発想でいけば、世の中戦争はなくなるんだろうなと思います。(笑)



←最近娘が早起きしてくれて朝方公園に行きます。
  朝公園に行くと、まだそんなに暑くもなく、蚊もいなく、いいですね。
  娘よ、早起き続けようね。

2014年7月17日木曜日

最近、娘の成長を感じた時。

娘はもうすぐ3歳になります。
よく子供は3歳までは親が面倒みるべきだというのですが、
その意味が最近少し分かるような気がします。

一次反抗期のいやいや時期も終わり、少しはこっちの話も聞き入れてくれるようになり、
それと同時に人との付き合いも少しずつできるようになって落ち着くのが3歳ではないかと思います。

というもの、一時反抗期はずっと前に終わった娘も「わたしの!」というのだけはよくならなかったのです。それで、家や公園で友達と一緒に遊ぶとしょっちゅう物の取り合いっこになってしまい、娘は取られる側なので、娘が泣いてしまうということがよくありました。

ところが、昨日公園に行った時、よその子が娘の砂場道具で遊び始めたのですが、娘が「いいよ」というのです。以前なら自分が遊ばなくても「わたしの!」と言って貸してあげようともしなかったことを思うとすばらしい成長でした。

また、今日は友達と公園で行き、一緒に滑り台で遊びましたが、お友達が娘の行こうとする道の前に立って通せんぼうをしていました。
以前なら、すぐ泣き、「ママ~」と呼んでいたのですが、今日はお友達に「行きたい、そうやっちゃ駄目!」と自分の意見をしっかりと言うのでした。しかもお友達を押したりせずに、あくまでも避けたり逃げたりするので、なおさらえらいなぁとつい親馬鹿ぶりを発揮してしまいました。
もちろん私のところに来て、お友達のことを言い付けすることもありませんでした。

なんなんですかね、このいきなりの成長ぶりは。

仕事への復帰まであと1カ月半くらいですが、
今の娘ならもう保育園に預けてもちゃんとやって行けそうな気がします。


←娘よ、パンツかぶって、裸で何をしとる?
 

2014年7月11日金曜日

娘は娘のペースでいいんだ。

一昨日の夜、散歩から帰ってきた娘がとても不機嫌で、悲しそうな顔をしたと思ったらしくしく泣き始めました。すると涙が止まらなくてついにあ~あんって大きい声でしばらく泣きました。

泣いた理由は、夜散歩に近くの公園まで三輪車で行きましたが、
いつもは私が三輪車を押してあげていたのですが、その日は私が娘にペダルを漕がせたのです。
三輪車は一年前に買ってあげたのですが、娘はいまだに自分の足でペダルを漕ぐ気はあまりなく
いつも私に押してもらうのが好きでした。
以前はまだ娘がペダルを漕ぐほど足の力がないと思ったので、私が三輪車を押してあげましたが、
もうそろそろペダルが漕げるのではと思い、娘にペダルを漕がせたのです。

娘は最初とても嫌がっていましたが、
私が「ママも一緒に押してあげるから、行ってみよう」となんとか説得して公園に向かったのです。
ペダルに慣れていない娘は少しでも漕ぎにくくなるとすぐイライラしました。
でも、時間はかかりましたが、なんとか公園に無事到着!!

娘に「頑張ったね!ここまで自分の力で来たんだよ」とほめるつもりで言いましたが、
娘は着いたからもういいでしょうと言わんばかりに三輪車から下りてしばらく公園で遊びました。

そして帰り、今度はママが押してくれると思った娘は
私がまたペダルを漕がせるとかなり抵抗しました。
でもここもなんとか私が説得して家まで三輪車を漕ぎながら帰ってきたのでした。

娘としては楽しいはずの夜の散歩がとても大変でいやな思いをしたみたいです。

ところで、なんで私が急に娘ももうペダルが漕げるのではと思ったかというと、
お昼、同じマンションに済む娘の友達、Kちゃんに会ったからです。
Kちゃんは娘と誕生日が1日しか違わないのですが、運動神経がよい子です。
以前会ったときには二輪のペダルなしの子供用の自転車をビュンビュン乗っていましたが、
その日に会ったときには、もう補助輪付きの二輪車に乗ってペダルもうまく漕ぎ、楽しく乗っていました。それを見たら、うちの娘はまだ三輪車のペダルもろくに漕げないのに。。。という焦りが出たのでした。そして夜娘が公園に行くと言い出したので、娘にも漕がせてみようと思い付いたのです。

公園から帰ってきて泣き出す娘に「ママが三輪車漕がせたのがいやだった?」と声をかけると
火に油を注いだかのように、少し泣き止み始めた娘はまたあ~あんと大声で泣きました。
娘を慰めるつもりで「頑張って公園まで行ってきたじゃん」と言ったのですが、効果なし。
「ペダルを漕いだから足が疲れたよね?足マッサージしてあげるね」と娘の足をマッサージしてあげたら、娘はやっと落ち着いてくれました。

子供は千差万別で、それぞれ個性があります。
Kちゃんはどちらかというと大筋肉群で、娘は箸の使い方が上手な小筋肉群の方です。
それなのに、私がついKちゃんみたいになった方がいいと思い、娘に無理を強いてしまったのですね。
娘は多分自分のことを否定するママに腹を立てたんだと思います。

娘は公園に行くと砂遊びが大好きですが、
この頃、高い滑り台も自ら登って滑って下りられるようになってきました。
そう、娘は自分のペースでちゃんと大筋肉も発達させているんだと思います。

ごめんよ、娘。ママが待ってあげることをつい忘れてしまって。
自分のペースでいいから、ゆっくり進みましょう。


←砂をバケツいっぱい入れては、
  「ママ、こんなにできたよ」と喜んでる娘です。

2014年7月4日金曜日

子育ての中、環境問題を考えます・・・その3

子供が今より小さい時には、子供への接し方、しつけ方などに興味がありましたが、
子供が少し大きくなると、これからこの子が社会で生きていくために親として何をしてあげるべきかということにも興味を持つようになりました。

今私が思っているのは、今より少しでも健全な社会、きれいな環境を作ってあげるべきではないかということです。母親になったことで、より肌でその必要性を感じるようになったと思います。

ということで最近やっているのが、
「洗剤なしで洗濯する」ということです。

偶然ネットで洗濯するのに洗剤を使っていないという方の話を読んだのがきっかけで始めました。

洗濯するのに、洗剤を使うのが当り前のようになっている私でしたので、
最初、石鹸を使って洗濯する方法を調べていました。
でも、えっ、洗剤すら使わなくていいの?って思いましたね。

そう言えば、昔の人は川で洗剤なか使わなくて洗濯していたんじゃないか。
うちは毎日着替えるし、基本汗の汚れだけで、それなら洗剤なしでもいけるかも
と思い、実際洗剤なしで洗濯機を回してみました。
(浄化作用があるという竹炭をネットに入れて一緒に回しました。)

洗剤の香りの代わりに、水の匂いがするのですが、
私にとってはさっぱりした匂いで、悪くなかったのです。

でも、泥んこになった子供の服は水洗いだけじゃきれいにならなかったので、
それは石鹸で手洗いしてから洗濯機に入れました。

そのほか、ちょっとした頑固な汚れも完全には落ちないので、手洗いしてから洗濯機に入れるようにしています。

以前よりは少し手間がかかりますが、
子供と洗濯遊びもできるので、今のところ問題なし。

柔軟剤も入れなくなり、少しバスタオルなどがカチカチになってきましたが、
その代わり、太陽の匂いをいっぱい感じることができます。

でも最近、暑くなってきて、特に夫は汗かきなので、少し匂いが気になるようになってきました。
そこで植物の成分でできているフィトンαという消臭・抗菌剤を入れてみました。

今のところ使ったばかりなので、よく分かりませんが、
以前よりは少し匂いが気にならなくなったような気がします。。。

お風呂の水があるときには、すすぎを2回、
お風呂の水がなければ、すすぎ1回で、
使う水を量も減っていいのかと。

今のところ、夫と娘から服が汚れてない、匂うなどの文句を受けてないので、
しばらくこのままやってみようかと思います。

←偶然取れた娘の笑顔。
  なかなかカメラの前には笑顔を見せないのですが、
  この日は偶然取れました。
  足の包帯は蚊に刺されたところを掻かせないために
  やってあげてます。

2014年6月26日木曜日

子育ての中、環境問題を考えます・・・その2

子供がお腹にいた時に、悩みの一つはオムツのことでした。
赤ちゃんが産まれたら、紙オムツにしようか、布オムツにしようか。
紙オムツがゴミを増やし、環境によくないと思ったからです。

布オムツを使いたいところですが、掃除・洗濯が苦手な私が毎回洗わなければならない布オムツの管理ができるかと悩んでいたところ、お義母さんからの布オムツは大変だとの一言で、とりあえず産まれてから決めようとしたのでした。

子供が産れると、その悩みは吹っ飛ばされました。
出産後、寝不足の上に体があっちこっち痛かった当時は紙か布かという悩む余地もなく、紙オムツにしちゃったのです。

私って、自分にちょっと都合が悪いと前後何も考えずすぐ楽な方法に走るんだなぁと思いましたね。
人間というものがそういうものかも知れませんが。。。

今、もし私がもう一度赤ちゃんの子育てをするのであれば、
100%は無理でしょうが、できれば布オムツで育てたいと思います。
だって、昔の人は皆布オムツだったから、実際寝不足や体調がよくないから紙オムツにしているという言い訳は通じないような気がします。本当にやりたいなら、できると思いますね。

赤ちゃんにとっても紙オムツより布オムツが良いそうです。
よく泣く赤ちゃんのオムツを紙から布に変えたら、赤ちゃんの機嫌がよくなったということを本で読んだことがあります。
最近のオムツは本当によくできているようですが(しかも安い!)、化学成分がいっぱいついているものには変わりがないと思います。化粧も化学成分がたくさん入っており、赤ちゃんと接する上でよくないと思って控えっていた私ですが(そもそも化粧はほとんどしないのですが)、赤ちゃんがずっと履いているオムツは紙オムツだなんって、なんだか滑稽ですね。

←百聞は一見如かず。
 子供にはなるべくたくさん見て、触って感じてもらいたいと思い、
 食材料の下ごしらえは一緒にやろうとしています。
 この日はカマスの塩焼き。娘に魚の塩化粧を頼みました。
 カマス、実は私も初めましてです。(^^;)


2014年6月19日木曜日

子育ての中、環境問題を考えます・・・その1

環境問題、日本では福島原発事故もあり、子育てする上でますます気になる問題ですが、
今日はまず私の節約ぶりについて、少しお話したいと思います。

昔から環境問題については漠然とした興味や責任感がありまして、専門知識はあまりないのですが、
現代を生きていく中で、無理のない範囲で自分ができることはやろうとしてきました。

幸いと言いますか、私は子供の時にはうちが貧乏だったので、母親から節約については徹底的に教育されていました。後になってこれが節約なんだと分かったのですが、当時は朝起きたら顔を洗うのと同じ、当り前だと思っていたものです。

たとえば、
・石鹸は最後まで使う。
・歯磨き粉は絞っても出なかったら、切って使う。
・トイレットペーパーは一度に三枚までだけ。(点線が入ってる所が一枚、トイレの中なのに、それ以上使うと母にばれて叱られたものです。)
・穴の開いた靴下は針で縫う、縫えないくらいの穴が開いたものも捨てないでとっておき、その靴下でまた穴を縫う。ストッキングも縫って履く。
・電気をつけるのは、暗くて字が読めなくなったら。
・顔を洗った水で靴下を洗う。
・学校で使い残ったノートはまとめて、新しいノートを作る。
・鉛筆が短くなったらボールペンの本体に差し込んで使う。
・近い距離は歩く。
等々。

子供の時の節約のエピソードは何時間も語れると思います。(笑)

子供の時には友達に笑い物にされたこともありましたが、
学校で環境問題を学んでからは、うちの節約行動を内心誇りに思ったりもしたものでした。

大人になってからは貧乏だからというより、環境問題を意識するようになり、なるべく節約しようと思っています。

・ご飯は米一粒も残さない。(母から、米一粒、一粒は農家の人の汗で、この一粒を得るために、一年間働かなければならないと言われてからは、ご飯は残さないようになりました。もちろん、米を洗うときにも一粒も流さないようにします。)

・靴やストッキングに穴が開いた時、縫うこともありますが、縫うのが面倒な時はそのまま履く。
 少し恥ずかしい時もありますが、まぁまぁまぁ。

・必要以上な服は買わない。知り合いから着ないといって服をもらうと、その服が着れなくなるまでは新しい服を買うのに抵抗を感じてしまいます。知り合いからもらう服、意外と多いですね。

・結婚前には一度使ったラップも油などで汚れてなければ、洗って使ってました。

・ラーメンなどの汁は最後の一滴まで飲み干す。(人間の体が一番高機能浄化機だと思うので。)

・スーパーなどでビニール袋はなるべくもらわない。

私のこういった行動を横で見ている夫には、あなた一人やったって何の意味もないと言われますが、
私は、私一人分でも環境が汚れないで済むと言い張って、やり続けています。


←最近韓国の家族や知り合いから、「こんなに大きくなったの?」って
 よく言われます。
 今年の始めの頃と比べると随分とお姉さんになりました。

2014年6月12日木曜日

トイレトレーニング始まりました。。。その2

今年に入って韓国に行ってたこともあり、しばらくはトイレトレーニングを忘れていましたが、
娘がもうすぐ3歳になるので、私にもやぱり3歳になるまではオムツをとったほうがいいと
思うようになりました。

でも、娘にオマルに座ろう、トイレに行こうと言っても「やだ!」と言われるので、
何か方法がないか悩んでいました。

その時、偶然昔読んだ育児の本が目に付き、読み直してみたら、
そこにはこんな感じで書いてありました。

しつけというのは、親が子供に教えてあげる、でも実践するタイミングは子供に任せる。
親は子供にやるタイミングは自分で決めていいんだよというメッセージを送りつつ、
子供ができるまで繰り返し教えてあげるだけ。それがしつけというものだ。

昔読んだはずなのに、すっかり忘れていました。

そっか、私の役割は繰り返し教えてあげる、そして待つということか。

そこで、オムツを交換するたびに、娘にトイレでおしっこしようと一言かけ続きました。
そしてしばらく経って、先週のことです。

娘がオムツを履こうとしなかったので、そのままほっておいたのですが、
いきなり、娘が「トイレに行く」と言い出したのです。
そして、あっさりトイレに行き、おしっこをするのでした。

なんだ、こんな簡単なことかと思うくらい、今までのトイレトレーニングをさせようとした苦労はなんだったんだと思うくらい、娘は何の抵抗もなくトイレに行ってくれました。

今は、オムツを履いているとオムツにおしっこするので、家にいるときにはパンツを履かせています。
もちろん、娘がオムツを履きたいという時にはオムツを履かせますけどね。

うんちは、まだオムツの方がいいみたいです。
でも、うんちもそのうちトイレですることになるでしょうね。
今の調子で慌てず、娘に教えつつ、娘の決断を待とうと思っています。


←公園でのランチ。
  食がほそい娘のため、お弁当を持ってよく公園でお昼を食べてました。
  
  

2014年6月4日水曜日

トイレトレーニング始まりました。。。その1

トイレトレーニングの始まる時期は大体2歳前後だそうです。

まずオマルに座ることに慣れることから始まるということで、
娘が2歳になる前にオマルを買ってリビングに置いてみました。

オマルの初日、娘もオマルに興味を持って座ってくれまして、たまたまその時おしっこが出たので
思いっきりほめてあげました。娘もなんか得意な表情を浮かべて嬉しそうでした。

初日からこうなったら、きっとうまく行くだろうと思いました。

でも、その考えはあまかった。。。

その後、娘にとってオマルは玩具に過ぎませんでした。
オマルがお鍋になって、お料理をしたり、
帽子になってかぶったり、スカートだと言って腰にかけたり、
お人形のベッドになり、オマルの蓋を開けるとお人形さんが横になっていたりして
まったくトイレとしての機能は消えてしまいました。

私も何日かは娘の前で自分がオマルに座って見せたり、
お風呂場にも持って入って、なんとか娘をオマルに座らせようとしてみましたが、
娘はまるで「親の意図が分かったからやらない」と言わんばかりに
オマルに座ろうとしませんでした。

オマルは諦めよう。。。

こどもによっては、オマルは嫌がるけどトイレが好きな場合があるそうです。
そうだ、うちの子がそのケースかも知れない!!と思って、今度はトイレに誘いました。

娘はトイレの水を流すのが楽しいのか、最初のうちはよくトイレに座ってくれました。
座る→おしっこ出た!(実際は出てない)→トイレットペーパーで拭く→水を流しながら「おしっこバイバイ~」というのが一つの遊びで、多い時は7回連続やる日もありました。
でもこれもそのうち興味を失い、トイレに誘っても「行かない」との返事ばかり。

オムツを脱がしておくのも一つの手だそうです。
おしっこする感覚が分かりやすくなり、トイレに行こうとするんだとか。
もしかしたらうちの子はこのパタン?ということで夏にオムツを脱がしてみました。
ちなみに娘のおしっこするタイミングを観察しようと。
ところが、意外なことが分かりました。
おしっこのタイミングは2時間くらい置きかなぁと思ったのですが、娘は案外チョロチョロと少量で頻繁におしっこをしていることが分かりました。

おしっこのコントロールができるためには、
膀胱がある程度の量のおしっこを溜めておけるほど発達される必要があると聞きましたが、
娘はまだ膀胱が十分発達していなかったのです。

一般的に2歳からトイレトレーニングを始めるということだけ頭に入れて、
まだ身体的に準備が整っていない娘にトイレトレーニングを急かしてしまったことを反省しました。
いつの間にか、自分自身も娘を早くオムツから卒業させなければと焦っていたのでした。

ということでしばらくトイレトレーニングは忘れることにしました。
ま、小学生になってもオムツする子はいないから、その前まではオムツから卒業するだろうという気持ちでいようと自分に言い聞かせました。
(次回に続きます。)


←トイレの水が流れるのがとっても不思議な娘。
 顔が便器に入りそうです。(^^;)

2014年5月30日金曜日

ばいきんまんが大好きな娘

2年10カ月になった娘。

この頃一次反抗期もすっかり終わり、娘と遊んだり、おしゃべりしたりするのが楽しく、
育児が少し楽になりました。

我が娘、ばいきんまんが大好きです。
ばいきんまんに対する愛情は、恐らく私の知り合いからお下がりでもらったばいきんまんの人形が始まりだと思います。まん丸顔のアンパンマンより、顔に角もついている、背中には羽、お尻にはしっぽがついているばいきんまんの方が面白かったのでしょうね。
テレビでアンパンマンを見たことがないため、ばいきんまんが悪者であることは思ってもいないことでしょう。

家にアンパンマンボール、ばいきんまんボール、どきんちゃんボールがあるのですが、
娘の友達が遊びに来ると、友達はアンパンマンボールで遊び、娘はばいきんまんボールで遊ぶので、取り合いっこにならないで済みます。

私の友人が、娘がばいきんまんの人形で遊んでいるのを見て、アンパンマンの人形をプレゼントしてくれたのですが、アンパンマンの人形には冷たい態度を取る娘です。

役割遊びをするときにも「私はばいきんまん、ママはアンパンマンね」と役が決まっています。

アンパンマンミュージアムに連れてもらった時にも、
アンパンマンが近寄ってきたのに、娘は知らんぷりしたらしいです。

そのくせ、アンパンチは大好きで、
バイキンマンのくせに、「アンパーンチ」と言いながら家中を走りまわったりします。(-.,-)

ところで、最近ちょっとした困ったことがあります。

本屋や図書館に行くと、ストーリーのあるアンパンマンの絵本を読んでほしいと持ってくるのですが、
読んであげると、ばいきんまんが最後にいつもアンパンマンにやられる場面で終わるので、娘が聞きます。「なんでばいきんまんがやられちゃったの?」って。

どうやら、ばいきんまんが他の登場人物にやっている行動は遊びのいたずらに思えて、悪さをしているとは思えないらしいです。

私も娘の大好きなばいきんまんが悪者だとは言えず、「ばいきんまんが動物達に○○の行動をして、アンパンマンがアンパーンチしたからみたいね。」と答えたりしていますが、正直ちょっと回答に困っています。

いつか娘もばいきんまんが悪者だということに気付く日がくると思いますが、
娘はショックを受けるのでしょうかね。


←アンパンマンミュージアムにて。
 onlyバイキンマンボールで遊んだそうです。

2014年5月22日木曜日

「なんで?」が始まりました。

2年9カ月の娘。

一昨日から娘の口から「なんで?」という言葉が飛び出し始めました。

つい最近、「これなに?」をいうようになったかと思いましたが、
いつの間に「なんで?」の連発。

時には、あ~、それが知りたいんだと思ったり、
時には、えっ、今まで何を聞いていたの?と聞き返したくなったり、
時には、しつこいなと感じたり、
時には、どう答えてあげればいいのか悩んだりします。

昨日、娘とお風呂からあがった時、娘が一生懸命お風呂の戸を閉めようとしました。
私はお風呂場を乾かしたかったので、娘に「閉めないで」というと、
娘:なんで?パパもお風呂入るじゃん。
  (娘なりにお風呂場が冷めてはいけないと思ったようです。)
私:お風呂場が濡れていると、かびが生えやすいから乾かすのよ。
娘:(かびが何か分からないようで)なんで?
私:お風呂場が汚れるから、開けといてね。(娘を無理やり納得させました。--;;)

娘は絵本が大好きで、よく「読んで~」とせがまれますが、
一時はまった「3びきのこぶた」の絵本を読んであげた時でした。

その絵本は最後にこぶたが煙突から入って来る狼を熱い鍋に落とし、食べちゃうという話でしたが、
読み終わると、娘が言います。
娘:なんでおおかみを食べちゃったの?
私:(今までの話は聞いてなかったかいと思いつつ)
  子ぶたがおおかみに食べられそうだったから、子ぶたがおおかみを食べたと思うよ。

去年の11月のことですが、私がカボチャを切ろうとして手を切ってしまい、救急車に運ばれたことがありました。それが娘の記憶に残っているらしく、今でも時々聞かれます。
娘:ママはなんで包丁で手を切ったの?
私:カボチャを切ろうとして、人指し指まで切っちゃったの。もう治ったから大丈夫だよ。
娘:え~、ほんと?気をつけて。
私:はい。(^^;)

公園で遊んだり、町を歩いたりするとき、子供の泣き声が聞えると娘は必ず聞いてきます。
娘:誰が泣いてるの?
私:(急いで周りを確認して)あの子だね。
娘:なんで泣いているの?
私:そうね、悲しいのかな?ママも見てないから分からない。
娘:悲しいんじゃない?
私:そっか。

いつか娘が「なんで?」をいうようになった時に備えて、子供用の百科辞典を買ったのですが、
それを開いたのは、一度だけ。「なんで花火は色が付くの?」と聞かれた時でした。
娘の「なんで?」の大体は日常の些細なことが多いのです。
でも、面倒くさがらず、娘の「なんで?」になるべく丁寧に応えようと思っています。

喃語の連発だったのが、「なんで?」が言えるまでに成長しましたもの。
こどもはこうやって世の中を知っていくんだなぁと思うと、ちょっぴり感動です。

←以前「パパは好き?」と聞くと、好きじゃないと答えた娘ですが、
  最近はパパが大好きになったようです。
  「ママは大好きで、なんだかパパも好きみたい」って。

2014年5月14日水曜日

ディズニーシーに行ってきました。

先週の土曜日、ディズニーシーに行ってきました。

毎年5月に夫の会社でイベントがあり、
社員の家族に限り、ディズニーランドやシーの入場券を半額会社で補助してくれるということです。

夫も私も遊園地にはあまり興味がなく、特に私は遊園地の乗り物が大苦手なので、
そのイベントにはまったく興味がなかったのですが、
子供がいると、そうは行かないのが親というものでしょうか。

去年は同イベントでディズニーランドでした。
2歳になる前の娘を連れて、私も初めてのディズニーランドに行きました。

夢の世界のディズニーランドに連れて行けば、きっと喜ぶだろうと思って行ったのですが、
我が娘にはちょっと早かったようです。

キャラクタも怖い、流れている音も怖いということで
私から抱っこのまま離れようとしなかったのです。

唯一好きだったメリーゴーランドというと、一度乗ると降りようとしなくて、
無理やり引きずり下ろして泣かせてしまいました。

それでも唯一乗れるものだったので、長くて1時間、短くて30分くらい待ちながら
メリーゴーランドだけ5回乗って帰ってきたのでした。

家に帰ってきた時、
私はもう腰が折れそうで、娘を連れて行くのには早過ぎたと後悔したものです。

そして今年はディズニーシー。

娘も反抗期がほぼ終わり、私のいうこともよく聞いてくれるようになってきたので
もう一度ディズニーにチャレンジすることにしました。

前夜、娘に人魚姫とアラジンのアニメーションを一部見せて、
明日これを見に行くと話をして、むりやり早く寝かせました。
(それでも寝た時間は12時でしたが、自ら寝ようとする娘を見てすばらしい成長だと思いました。)

去年と比べて、娘は乳母車にもよく乗ってくれたし、
私だけじゃなくて夫にもよく抱っこされるようになったので、私としてはとっても楽でした。

でも相変わらず大きい音が苦手のようだし、せっかくあいさつしてくれたキャラクタは完全無視。
今回も乗り物はメリーゴーランドだけ。
ディズニーシーのメリーゴーランドは1階と2階があり、なんと7回も乗りました。
私は疲れてはいましたが、毎回馬からちゃんと降りてくれる娘を見ると、
あ~、成長したなぁと嬉しくなりました。

ディズニー、夫の会社のイベントが毎年あり、子供が親離れをする前までは
毎年行こうと思っています。

ディズニーには毎年成長する子供の姿が見れるという楽しみがあったのですね。

来年は娘がどういう成長ぶりを見せてくれるか楽しみです。

←おやつのキュウリを持ってGO、GO!
 このキュウリがディズニーシーのスタッフさんに大受け!!

2014年5月8日木曜日

韓国での旅客船沈没事故を見て。。。

先月4月16日に、韓国で旅客船セウォル号が沈没する事故がありました。
明日で事故発生後一カ月になるのですが、救出状況はなかなかよくならず、
現在、生存者172名、死亡者269名、失踪者35名という大惨事になってしまいました。

死亡者、失踪者の大多数は修学旅行で乗船した高校2年生だったため、
韓国に与えた衝撃、悲しみは大きかったです。

事故原因を調べる中、
船長を含め、乗務員の職業意識のなさ、
金銭主義による安全意識の低さ、
政府対応のあまさ、
政治と企業間の癒着等々。。。
韓国社会が抱えている問題が浮き彫りとなりました。

今韓国では、大人が作ったこういった社会風潮が多くの人の命を犠牲にしたとして、
「ミアンハムニダ(ごめんなさい)」と追悼式があっちこっちで行われています。

最初私がこの事故を知った時、また船の事故かと軽く流したのです。
船に乗っている人は全部救出されるだろうと思ったからです。
でも救出の状況が段々悪くなる一方で、
最初の生存者意外に生存者を救出したというニュースが全くないまま時間ばかりが
経ったので、見ていると胸が痛みました。
特に高校生の親たちが泣き叫ぶ場面とか見ると、一緒に涙がぽろりと。。。

今回の事故で、
私は韓国人として、そして子供を育てている親として大事なことを思い知らされました。
それは、子供を含む家族が皆元気であることのありがたさ。
子供に残してあげるべきは、安全安心な社会であること。
そのために、大人である私が日々誠実に生きていくこと。
皆で共に生きるために私ができることからやっていきたいと思います。

最後に、今回犠牲になった方々にご冥福をお祈りします。


← 無事を祈る意味の黄色いリボン。
 「無事に帰って来てください」
 「一つの小さい動きが奇蹟を」
 と書いてあります。


2014年5月2日金曜日

韓国から友達が遊びに来ました。・・・その3

先輩らが韓国から来る前まで、
私は、自分は世の中の子供をわが子のように接することができるだろうと思っていました。
それは自分が子育てしながら、子供は何億倍の確率を乗り越え、この世に産まれた命ですし、
愛おしい娘と一緒に将来を築いていく存在だというのをつくづく思えるようになったからです。

実際、そう考えてよその子を見ると、可愛くない子はひとりもいませんでした。
公園で出会う子供が困っていると自然に声をかけるようになり、
すると、その子供もとても優しく接してくれるのです。

ところが。。。

今回先輩の子供達と3週間一緒に過ごして
よその子をわが子のように接することが簡単ではないと痛感しました。
それところか、子供を公平に接することにも経験&訓練が必要だなぁと。。。

先輩の子供が私の想定範囲を軽く超える行動を続けるなかで、
私の心には子供を制止したいと気持ちが後から後から沸いてくるのでした。

たとえば、水の使い方。
子供はだれでも水遊びが大好きだと思いますが、先輩の子供達ももちろん大好き。
歯を磨くとか手を洗うため洗面所に行くのですが、すると水を出し放しでしばらく水遊びを始めます。
私は電気、ガス、水の無駄使いには、なぜかとても気になるタイプで、
娘には必ず洗面器に水を溜めて洗うようにしています。
先輩の子供達にも洗面器で手を洗うようにしましたが、やはり流れる水がいいのか、蛇口を上にあげて水を出すのでした。それが気になる私はついつい水を止めに駆けつける、すると子供達は膨れ面。

また、食べ物。
食べ物にあまり関心のない娘に対して、先輩の子供らはパンや果物などが大好き。
特に下の女の子は本当によく食べました。
ある日、次の日に食べるつもりで苺を買ってきたのですが、それを下の女の子が見て、食べたいと言ってきました。娘なら、「おや、食べたくなったんだ」と喜んであげたはずですが、先輩の子供には「また食べたくなったの?!」という気持ちが先立って、結局「明日食べようね」とあげなかったのです。

今思うと、食べ物が好きな子だから、笑顔であげればよかったのに。。。
苺をあげなかった私に残るのは後悔と申し訳なさだけです。

また子供同士で取り合いっこになると、いつも取られる側が娘だったので、
ついつい先輩の子供達が可愛く見えないのでした。

今思うと取ろうが取られまいが、子供だから起きたことなのに。。。
その瞬間はまだ子供だとか、将来の宝だとかという考えはどっかに吹っ飛んでしまいました。

先輩らが帰ってから、もっと優しく接してあげればよかったなぁと後悔もたくさん残りましたが、
その時はこうすればよかったな、今度はこうしようと自分の行動を見直す機会にもなりました。

子育てって、自分の子だけでなく、他人の子への接し方も、勉強が必要ですね。
なるべく「自分の子のように他人の子に接する」ことができる大人になりたいですね。


←2歳9カ月の娘。
 運動神経はいまいちの娘ですが、なぜか箸使いはとても上手です。
 私より正しい箸の持ち方をしていますよ。

2014年4月24日木曜日

韓国から友達が遊びに来ました。・・・その2

娘が駄々をこねるようになりました。
ま、この年齢で駄々をこねるのはよくあることかも知れません。
しかし、娘の場合、今までは私が娘のいうことのほとんどを聞いてあげていたこともあり、駄々をこねることがほとんどなかったのです。

それはまるで一次反抗期の真っ最中に逆戻りしたかのようでした。

たとえば、
大型スーパーに行った時、娘が2階に行きたいというので、2階に行きました。
しばらくして帰ろうとしてエスカレートに乗ろうとすると、怖いと言って嫌がるのです。
因みに、2階にはエスカレートに乗って上がってきたし、娘はエスカレートに乗るのが大好きです。
エレベーターで行こうとしても、エレベーターも怖いと嫌がり、でも家には帰りたいというのです。
家に帰るためには1階に下りなければならない、そのためにはエスカレートかエレベーターに乗らなければならないと優しく説明しても、娘は乗ろうとしないで、ひたすら家に帰りたいと泣くのでした。

また、夜泣きはもちろん朝方でもよく泣き出しました。
その時娘の口から出る言葉は「お腹すいた、食べない。外に行きたい、行かない。眠い、寝ない」。
間逆な言葉を繰り返し、娘が何がしたいのか分からないのです。
「抱っこ、抱っこ」と言われ、抱っこしてあげようとするとすぐ拒否するし。。。
一度泣くと、1時間くらい泣くのですが、まるで娘の体にストレスの瓶があって、それが空っぽになるまで泣くというようなイメージで、私が手の打つところがなく、最後まで泣き通す娘でした。

こんなこともありました。
娘が風邪で家にいるとき、オムツがパンパンなのに、娘は履き替えないというのです。
以前なら、私も娘がやりたい方にしておくのですが、その日はまた娘の駄々が始まったと思い、
なんとかして娘のオムツを履き替えようと思ったのでした。
最初は寒くて風邪がひどくなるなど色々説明をしたのですが、いうことを聞かない娘。
後になっては、病院でオムツを取り替えってもらおうと娘を脅かしました。そこで娘はようやくオムツを取り替えると言いましたが、今度は自分で脱ぐと言い出して、ちっとも脱ごうとしません。
堪忍袋が破れた私は「脱いで!」と、自分が出せる大声で娘に怒鳴りました。娘は「そう言わないでよ」と泣きながらも脱ごうとしません。
最後の最後、私は力を使い、娘のオムツを破って脱がしました。そしてオムツをくるくる巻いて、イライラのあまりごみ箱に投げつけたのです。(このとき、ちょっとしまったと思いました。案の定、その後娘はイライラするとすぐものを投げるようになり。。。何回か言い聞かせ、今は投げなくなりましたが。)
新しいオムツを履かせながら、娘の顔を見たら、散々泣いたせいなのか意外とあっさりした顔をしてました。
その日、私は重い気分で一日を過ごしたのでした。

そういえば、友達によく貸してあげた自分のものも、
すぐ「私の~」というようになり、取り合いになっていました。

娘のことをどうすればいいのか、複雑な気持ちになっていたとき、
以前読んだ育児の本の目次が目に止まりました。

そこには「子供の反抗期は次の成長を準備する時期」と書いてありました。

あ、娘は何か成長しようとしてたんだ。。。

それで娘をよく観察すると、機嫌がいい時もありました。
その時は、私と二人きりになった時。韓国からのお客様が外出して家にいなくなると、娘はうそのように機嫌が直りました。

韓国からお客様が来てから、
母は自分よりお客様を優先にし、自分と同じ年齢の子供達に自分の玩具を取られるし。。。
それが長期間になるに連れ、娘はストレスを感じていたかも知れません。

今までの娘の異常の行動がストレスから来たと思うと、
なんだかほっとして、娘の行動をありのまま受け入れるようになりました。

そして韓国のお客様が帰って2、3日後、娘の夜泣き、朝泣きもなくなったのでした。

←雨の散歩が大好きな娘。
 久しぶりに二人の散歩を満喫しました。

2014年4月15日火曜日

韓国から友達が遊びに来ました。・・・その1

韓国での大学時代の先輩が子供二人を連れて5年ぶりに来日しました。

彼女は私と同じ時期に、同じ日本語学校、そして学校は違うけど日本の大学に進学して勉強してまして、私が日本に来て大学を卒業するまでの間、ほぼ家族のような存在で支え合った人です。

今回韓国に行った時にも彼女には大変お世話になりました。

うちはよく韓国からのお客様が泊まって行くのですが、今回も私からうちに泊まるように勧め、
3週間ほど一緒に過ごしたのでした。

彼女が連れてきた子供は4歳の男の子、2歳の女の子。

女の子は娘より2カ月ほど後で産まれましたが、成長ぶりが著しく、8カ月で歩き出し、一年前にオムツにも卒業、今はオマルでおしっこしたら自らトイレに捨てに行くという優れ者(^^)です。
食欲も旺盛で、他の子供は遊びに夢中でもこの子は必ず食べ物の周りをうろうろ。
うちにいる時にも私が食事の用意をしようと台所に立つとこの子だけは既に子供の椅子に座ってまっていました。見ているとあまりにもしっかりしているので逆に笑いが出ます。

夫がその子に言いました。
「いいぞ~、大きくなったらまた来い!食べ放題に行こう。」

子供は皆それぞれの色を持っていることは当然ですが、
他の子供と一緒にいる時間が長くなると、自分の子供とよその子供がこんなにまで違うんだなぁと痛感させられてしまいますね。

子供の特徴を簡単にいうと、
うちの娘は小食、慎重派、自分の考えをしっかり持っている(要するに頑固)。
先輩の子供達は大食い、行動派、積極的(怖いもの知らず)。

うちの娘もかなり散らかし放しで手に負えないと思っていたのですが、
私の想像を超えることがどんどん起きます。まさに予想外です。

一番面白かったのはトイレが海になったこと。

うちのトイレはお水を流すとその水で手を洗えるようになっていますが、その仕組みが子供達には不思議だったみたいです。水が流れる入り口にトイレットペーパーを詰め込み、どんどん水を流す遊びをしていたのでした。駆け込んで見たら、トイレの床が水たまりに。。。
韓国ではほとんどトイレとお風呂場が一緒になっていて、子供達が便器の水で遊んでるという話はよく耳にしたのですが、こんな遊びをするとは。。。
お蔭様でトイレを水で掃除することになり、とてもきれいになりました。

韓国にいたときに「私の~」を連発していた娘だったので、少し心配になり
先輩らが来る前に娘に何度も言い聞かせました。

私:「韓国からお友達が来るの。来たら、おもちゃ貸してあげられる?」
娘:「うん!」
私:「貸してあげたくない物があったら先に言ってくれる?隠しておくから。」
娘:「ないよ。」

娘に自分の物を友達と一緒に仲よく遊んで欲しかったのですが、念のため「あなたの大事な物は守ってあげる」というメッセージも伝えておきました。でも娘はあっさり「ない」と言ってましたが。。。

最初の何日かはちょっとした取り合い喧嘩がありましたが、問題なく楽しく遊んでいるように見えました。しかし、日にちが経つに連れ、娘の行動に異常が。。。。(続く)

←先輩は、子供と遊び疲れるとアニメーションを見せるそうです。
 うちの娘もついでに見せてもらいました。

2014年4月6日日曜日

1カ月半ぶりに娘と再開した夫の反応は?

前回に続き、今回も夫にブログの内容を頼みました。
今回は一カ月半ぶりに娘と再開した感想についてです。
夫に「娘恐怖症」があるなんて。。。
なんだかその言葉で今までの夫の行動に少し納得が行く様な気がします。。


時期が時期だけに娘の完全ハングル化も予想はしていたものの、
いざ、現実にハングル化してしまった娘に直面すると
以前から若干の娘恐怖症(言いすぎですかね)に
なりかけていたのが、一層大きくなりました。

帰ってきたときから、「アッパ、アッパ」と行くときよりも
ずーっとなついてくれてたし、いろいろと話しかけてくれるようにも
なっていたのに、「何をいっているのかがわからない」のです。
かみさんも、普段よりは通訳をしようとはしてくれているものの、
やはり追いつきません。
近づいたようで、そうではない距離感はこちらの話す言葉を向こうは理解している
ということでもさらにプレッシャーになります。
個人的には私と話すときだけ日本語ならあとはハングルでも英語でもいいやと
おもっていたのですが、こういう状況はおもいもしていなかっただけに、
結構たいへんだったりします。
第3者視点でいえば、この状況は十分にあり得るだろとはおもうので、
自分の思慮の甘さは痛感しています。
4月の中旬までは韓国のお友達親子がきているので、この状況は変わらないとおもいます。
私の方では慣れてきたので、こどもの教育としてはうーんですが、
とりあえず、生活をしていくにはなんとかこの状況になれました。
かみさんの方でいろいろと考えて(話はいろいろと聞いている)行動しているようなので、
今は邪魔にならないように気をつけていくしかできないのかなとおもっている。

←パパとカキ氷を食べました。
  「あっ、つめた~いっ。」

2014年3月28日金曜日

私と娘が韓国にいる間、夫は?

夫にブログに載せる内容を依頼してみました。
私と娘が韓国にいる間、夫はこんな感じで過ごしていましたね。
それにしてもうちの夫は白米が大好きなんだな。。。とつくづく思います。
でも、ごめんね、家族の健康のためになんとか玄米に慣れましょう~。

嫁と娘を韓国に置いて帰ってから
旦那はすぐに白米を炊きました。
もともと気をつかってはいなかったのですが、
睡眠の時間が一定化し、一人暮らしをおうかしておりました。
依頼されていた部屋の掃除、本棚の作成等は結局部屋の片づけだけで手一杯
何でしょう、週末の過ごし方がかなりへたになったような感じでした。
週末はお風呂に入ることができました。
お仕事の方も普段から帰る時間は気にしていませんでしたが、
そのままの調子で過ごすことができました。
食事は外食もあまりふえず、とにかくおそくなってでも
おかずになるようなものを調達して、帰って白米を食べる!!
なんて日々が一月続きました。
その間、娘の写真や状況がおくられてくると
「おおきくなったなぁ」なんてかんじたりしておりました。
ま、向こうに二人がいっている間は、完全に
羽を伸ばしていたというのが本当のところなんだとおもいます。
心配の種はかみさんの体調くらいでしょうか、
ここが大丈夫ならなんとかしてくれると。。。(^^;
ただ、「便りのないのはよい便り」を地で行くため、
かみさんにとってはいつもいじょうにイライラのたまることだったかもしれません。



←韓国での夫と娘

2014年3月19日水曜日

ただいま~、日本に帰ってきました。

先週の土曜日、紆余曲折の末、無事日本に帰って来ました。

娘は、
前日韓国での最終日であることが分かったのか、夜大泣きし、
韓国の空港では日本のパスポートがないため再入国できるかどうか分からないと、
もしかしたら日本から追い返されるかも知らないと言われ心配してましたが、
日本の空港のイミグレーションで無事手続きを通過し、日本の土を踏むことができました。

帰りの飛行機では行きと違い、リラックスしてまったく寝ないで周りのものに興味津々。
飛行機の中でウンチまでしたとか。

えらかったことに、手荷物が多かったため、私は背中と両手で荷物を持っていたのですが、
娘はちゃんと自分の足で飛行機に乗り、飛行機から降りて、歩いてくれました。
(韓国に行くときには最初からだっこ、だっこでした。)

羽田空港にお迎えに来てくれた夫、夫の両親を見た娘、早速声をかけます。

娘:「アパ~。(パパ)」
  「ハルモニ~。(おばあちゃん)」
  「ハラボジ~。(おじいちゃん)」

夫:「(ポカ~ン)」

おじいさん:「何言っているか分からん。」

おばあさん:「やだ~、日本語でしゃべって。」

幸い娘は日本の家族を忘れていなかったみたいです。
とても嬉しくてハイテンションになっている娘、ず~っと韓国語でしゃべり、
それを私が同時通訳しているという笑えない状況が。。。。

韓国で私の父が娘のことを、来たときには「Made in Japan」だったのに、
すっかり「Made in Korea」になったと笑い話をしたのですが、まさにその通り。

韓国での寒い冬の1ヶ月半、娘は病気もしないで新しい環境に慣れながら、
一段と大きくなったような気がします。

まるで寒い冬を乗り越え、春に咲く黄緑の新芽のように。

← 珍しく両目を開けた写真が取れました(31ヶ月)。

2014年3月7日金曜日

31ヶ月目の娘、一時反抗期はそろそろ終わり?

昨日、親友の家に娘と遊びにお邪魔した時のことです。

親友の妹が娘と遊んでくれたのですが、
彼女が娘の持って行ったペンギンのぬいぐるみを指さして「ちょうだい」と言いました。
それを横で見ていた私は娘の口からまた「私の!」という言葉が出るだろうなと思いきや、
おや!? 娘がすんなりペンギンぬいぐるみを渡すんじゃありませんか!!
ちなみにそのぬいぐるみは娘が大好きなもので、他の人が遊ぶと「私の~」と言って嫌がってたものでした。

なんでもかんでも「いや!」、「私の!」が口癖の娘が
大好きなペンギンのぬいぐるみを渡すなんて!!

そういえば、この頃娘の行動に今までと違う変化が見え始めました。

・好きな模様のオムツしか履こうとしなかったのが、今はなんでもOK。

・着替えに1時間以上かかったのが、10分くらいで済むように。

・ママにしかだっこされなかったのが、おじいさんにもだっこうされるように。

・自分の体をママ以外の人が触ると大騒ぎしたのが、今はおじいさん、おばあさんと体を使って遊んでいます。

・人の家には絶対入らない、または入るのに1時間くらいかかったのが、すんなり入るように。

・いつもママ、ママしか呼ばなかったのが、おじいさん、おばあさんと呼びながらおじいさん、おばあさんの足にぶら下がります。

・お菓子を食べる時、おじいさんがあ~と口をあけて待っていっても自分の口ばかりにお菓子をいれていたのが、この前はおじいさんの口にもお菓子を入れてあげるようになりました。

・「○○してもいい?」という質問も多くなったし、私が「だめ」というとすんなり受け入れてくれることも多くなりました。

コップに水がいっぱいになると外に流れるという言葉を信じて
娘の心のコップの水がいっぱいになることを待っていましたが、
その時期が来たのですかね。

韓国にいる間の変化だから、なおさら娘の変化が大きく感じます。


←韓国で初ミュージカル観覧
  「雲のぱん」の絵本をミュージカルにした作品。
  初めは怖いと言っていた娘でしたが、
  見終わると、「あ~、楽しかった」って。(^^)

2014年2月26日水曜日

娘とソチオリンピック

子供にあまりテレビを見せたくない私ですが、
オリンピックだけは積極的に見せようとしました。

オリンピックは他では見られない色々な競技種目を知るきっかけにもなりますが、
どの競技よりも選手たちの気持ちが熱い時。
スポーツ選手たちが一生懸命訓練し、最善を尽くして競技に臨んでいる姿を
娘に見せてあげたかったからです。

オリンピックが何か分からない娘にオリンピックをどう説明するか少し悩んだのですが、
「オリンピック始まったよ」と開幕式を見せ、
「オリンピック、やっているよ」と試合を見せているうちに、
娘の口からも「オリンピック、やってる?」と言葉が出るようになりました。

そして、洗いものをしている私の隣で、
娘はおばあさんのスリッパを履いては、「スケート、すいすい」と口で言いながら遊んでました。

テレビでフィギュアを見ている時に、
私が「シングルアクセル」と言いながら娘の体をくるっと持って回してあげたら、
フィギュアがテレビで放送されるたびに「ママ、回して!」と言う娘。
その時の娘の笑顔といったら(笑)。
また、テーブルを両手で掴んで片足をあげながら、フィギュアのまねごっこをする娘。

4年後は韓国のピョンチャンでオリンピックが行われます。
その時は娘も6歳。ぜひ、選手たちの情熱を娘と一緒に現場で味わいたいですね。

国と国の試合となると、私は当然韓国を応援します。
夫は、どっちかというと日本でしょうが、どうでもいいって感じ。
娘はどうでしょうかね。
娘が韓国を応援しようが、日本を応援しようが、一緒に応援を楽しめるといいですね。

4年後が楽しみです。

<<  at "the Musium is alive"

2014年2月19日水曜日

韓国での発見その2、言葉

韓国に来るときに心配したことの一つが言葉でした。
娘は99%日本語しかしゃべりません。
韓国語と言えば、韓国語の絵本を読んであげたのと、家の中で私が娘に時々韓国語で話しかけたのがすべてでした。
私が娘に話しかけた韓国語はとても単純な言葉ばっかり。
さて、いきなり言語の環境変化に娘はどう反応するのでしょうか。

蓋をあけてみると、面白いことが起こっていました。

娘は意外と日常の韓国語をほとんど理解していました。
もちろん、人の表情や手の動き、状況などを見て判断することもあるでしょうが、
少なくとも、娘は韓国語の意味が分からなくて困るということはないように見えました。

困っているのはむしろ娘を相手にする大人や子供たち。
娘にとっては、日本人・韓国人の区別がないのですから、
お構いなくどんどん日本語でしゃべっているのですが、
相手はその意味が分からないので困った様子。

娘の従姉妹は4人いますが、その中でひとりはまだ幼稚園生で、残りは小学生です。
娘と言葉が通じなくても遊べるのはこの幼稚園生の子。
二人の遊ぶ姿を見ていると、ひとりは日本語で、もうひとりは韓国語でそれぞれしゃべっているのですが、
それでもうまく遊ぶのだから、不思議です。
相手が分かるか分からないかはあんまり問題にならないようでした。

小学生以上になるとやはり言葉の意味が分からないと少しイライラしていました。
人間が完全に言語の動物になるのは小学生にあがる頃からでしょうかね。。。

先週からは少しずつ娘の口からも韓国語が出るようになってきました。
日本語でしゃべったり、韓国語でしゃべったり、日本語と韓国語がごちゃ混ぜになったり。。。

面白いことに、韓国語の場合も日本語と同じく、色々と独り言を言っていることです。
そして何を言っているかよく聞いてみると、絵本で読んであげた言葉をまるでセリフのようにしゃべっているのです。
言葉の習得って、「たくさん聞く→独り言を言う」と言った段階を踏むですかね。

3週間でここまでの変化。子供ってすごいですね。

←旧暦の1月15日。
 月がまんまるになる日で、こどもとお月見をしました。

2014年2月14日金曜日

韓国での発見その1、身の周りのものが玩具に早変わり

韓国にきて2週間が過ぎました。
時間は少しかかりましたが、やっと娘は韓国の環境や家族に慣れてきたようです。
最初の1週間の不慣れした娘の様子を思い出すと、今までいられたのが奇蹟のようで、
元気で過ごしている娘に対してありがたくさえ思います。

今振り返ると、毎晩大泣きしたときに、イライラしないで娘をおんぶして外に出たのがよかったと思います。当時は毎晩外に出る覚悟までしたのですが、娘は三日目で落ち着いてくれました。
もしも大泣きした時に怒ったならば、娘の日本に帰りたい気持ちがもっと高まったのではないかと思います。
娘の日本に帰りたい気持ちを察してあげることで、娘は自分の気持ちを分かってもらって安心できたんじゃないですかね。

韓国での娘の様子を観察している中で、面白い発見がありました。

その1、周りのすべてのものが遊び道具になること。

韓国に来るときに家から玩具を持ってきてなかったので、
実家に行くと少し退屈するかもと心配したのですが、これこそ「心配ご無用」でした。
娘は身の周りのものを簡単に遊び道具に変身させちゃうのですから。

たとえば、長いクッション。
これがなんと娘にとってさつまいもになったり、桃になったり、布団になったり、怪物になったり、魚になったり。
さつまいもになったときには、どうやらこのさつまいもは土の中にいるようで、
土から引っ張り出すことに一生懸命です。
娘の口から「なかなか抜けません」のセリフが漏れます。
それもそのはず、なにせ自分の体より大きいクッション焼き芋ですからね。
なんとか掘り出した後は、焼き芋にするのです。
そして「さ~、出来上がり!食べて」と私のところに持ってくるのです。
私が一口食べるまねをすると、娘は「ちょっと待って!まだ焼いてないわよ~。」と再度焼く振りを。。。(^^;;)

手鏡は娘の大好物のペロペロキャンディになり、しばらく遊びます。
果物を包んだ紙は、ペンギン人形のオムツになり、ペンギンがおしっことうんちをしたと大騒ぎ。(^^;;)

家でも台所のものでよく遊んでいた娘でしたが、
実家でも、ざるひとつとスプーンを渡すと早速料理が始まりました。
「塩をぱっぱっ振って、砂糖もいれて、よくかき混ぜま~す。ん~、ちょっと辛いかな。。。」
綺麗好きな母親に怒られるのではと少しハラハラしていましたが、
母親は小さい子が意味の分からない日本語をペラペラしゃべりながらひとりで遊んでいる様子が可愛かったのか何も言いませんでした。

娘が遊んでいる様子を横で見ていると娘の底をつかない想像力といいますか、その発想には笑いが止まりません。

どこかの本で子供は自分の想像力で枝一本でも遊べると読んだことがありますが、本当ですね。
子供ってすごいですね。


←東京に大雪が降った日、ソウルにも積もるほどの雪が降りました。
  娘に雪を楽しんでもらおうと、
  公園に行って、一番乗りをいっぱいしました。

2014年2月6日木曜日

第一反抗期の娘は韓国に慣れることができるか?!

娘が韓国の環境にすぐ馴染むなんてことは期待しませんでした。
最初は人見知り、場所見知りをするだろうと予測はしましたが、
ママである私が抱っこしてあげるなりすれば大丈夫だろうとも高を括っていたのですが。。。

しかしさすが我が娘!
そんなあまいもんじゃなかったのです。

韓国に来た初日から、実家に入りたくないと一点パリだった娘。
寒い中、中庭の水たまりでチャプチャプ遊びや階段遊びを2時間以上した後でも
玄関を叩きながら家に帰りたいと涙目になった娘。

その日の夕方6時くらい。娘が家に帰ると泣きだしました。
パパの車に乗って帰るって。。。
娘に、「家に帰るためには飛行機に乗らなければならない、今は遅いから飛行機が飛ばない」と
説明しても、飛行機乗りにいく~~とさらに大泣き。
父と母は大泣きする孫を泣き止ませるために飴を見せたり、お菓子をあげたりしてたのですが、
娘の泣き声は収まるところか、エスカレートしていくと今度は厳しく叱るべきだとイライラし出しました。

こうなると、とりあえずこの状況から脱出する必要があると判断した私は、
「分かった。とりあえず空港に行ってみようね。行ってみて飛行機が飛ばなかったら帰って来よう」と
言って、娘に防寒対策を施し、背中におんぶして実家を出ました。その時間夕方7時。

実家の近くに日本のコミュニティーバスみたいなバスがあるので
それに乗るつもりでバス停へ向かいました。
娘にとって新しい環境がこんなにつらかったのかなぁと思い、寒い道を歩きながら娘に声をかけました。

私:「つらかったね。」
娘:「うん。」

バスを待っている間に娘は寝てしまったのですが、
循環バスを乗って一回りして家に戻りました。

娘を布団に下ろしたのは11時。途中で何度か起きて家に帰ると泣きましたが、
なんとか朝まで寝てくれました。

こんな状況が続くのであれば、
本当に日本に早く帰った方がいいかもと思いつつ、
でもせめて1週間は韓国にいたい自分の気持ちもあり、一週間娘の様子をみることにしました。

1週間が経って。。。
お昼の間は割と普段通りに遊んでいます。
夜、家に帰ると大泣きするのも少しずつ減りましたが、
昨夜も絵本を見ている途中にふと、「家に帰りたいなぁ」と言っていました。

やはり、子供にとって自分の家が一番居心地がいいのでしょうね。

。。。

それでも私はもう少し韓国にいて、韓国の文化を娘に見せてあげることにしたのでした。


← ソウル歴史博物館で。
  ここはソウルの歴史が一目で分かりやすく展示されています。
  しかも入場無料なので、おすすめです!!
  お子さん連れなら空いている平日がおすすめ。
  ※月曜日は休館日です。

2014年1月31日金曜日

韓国に着きました!

ここは韓国です。
いくつか山はありましたが、昨日無事こちらに到着しました。

<山その1、出国の手続き>
娘は日本と韓国両方の国籍を持っているのですが、
パスポートは韓国のものしかありません。
確かどちらかの国のパスポートを持てば良いはずでしたが、
早速出国の手続きの窓口で引っかかりました。
日本人であれば日本のパスポートが必要だとか。
しばらく待たされたのですが、調べてもらった結果
幸いにも、次からは日本のパスポートを作ってくださいとの一言で
通過させてもらいました。

<山その2、飛行機>
娘は飛行機に搭乗したとたん、怖いと大騒ぎ。
実は、娘は生まれる前から飛行機に乗っており、今回で5回目なんですけどね。。。
今までは私に抱っこされて乗っていたのですが、座席に一人で座るのは初めて!
離陸時には、娘の大好きなチョコと絵本で気を逸らし、
着陸時には、いつの間にかお休みモードに入ってくれたので、
無事韓国に到着できました。

<山その3、親戚に会う>
空港には私の兄の夫婦と甥(5歳)がお迎えにきてくれました。
最初は人見知りや恥ずかしさなどで私に抱っこされたままでしたが、
車の中でめいこが玩具を出したとたん、興味津々となり、
そこからはとてもマイペース。甥に普段通りで日本語で
「これ(玩具)はどうするの?」「玩具、貸して~」など話しかけるのですが、
甥は意味の分からない日本語で言われるので、ぽか~ん。
でも、そこは子供同士ですよね。
すぐ打ち解け、言葉も通じないのに、なんだか二人とも楽しそうでした。

<山その4、実家>
さてと、実家につきました。
ところが、娘は家に入らないと一点パリなのです。
見慣れない人や家がいやだったのでしょうか。
外で1時間以上遊んでからやっと家の中に入ったのですが、
気がつくと父の飴かごを抱え、飴を食べながら父と一緒にテレビでボックシングを見ていました。

夜になり、娘は家に帰る~と泣きだしました。
持ってきた絵本も全部読み終わり、娘を説得する手段がなくなったので、
最後には泣いている娘を抱いたまま寝かせました。

これで韓国の最初日は無事終わったのでした。

昨日の最高気温は3℃。
兄曰く2ヶ月ぶりの零上の気温だそうです。2ヶ月くらいず~とマイナス気温だったとか。
家にある一番分厚いコードを持ってきたのですが、皆にこれだと寒いと言われました。

部屋はオンドル(床暖)なので、寝る時にはむしろ暑いです。
夫は半袖で、娘はしょっちゅう布団から脱出しながら寝てました。


←羽田空港で「いってきま~す」










                             早速夕飯の支度の手伝い             →
             働け、娘よ!
             ここは韓国、ただ飯はないんだぞ~。
             タマネギの皮を剥くのに真剣な娘です。

2014年1月22日水曜日

考えを変えれば少し楽になります。

うちの娘は年齢の割りには体が小さく軽い方ですが、最近11キロに近くなってきてそろそろ重く感じるようになりました。

私が「重いよ~」と苦情を申し出ても、娘は「大丈夫、大丈夫」と言いながら抱っこをせがみます。
「大丈夫って?あなたは大丈夫かも知れませんが、私は重いのよ」とついつい言いたくなります。

それでも、この子はまだママの抱っこが足りていないだなぁ、1年半くらい昼間抱っこしてもらえなかったもの。それを今満たそうとしているだと思い、なるべく抱っこしてあげようとしてはいますが。。。

お風呂上がりや家事などで手が離れない時に「だっこだっこだっこ」と言われると、子供の声がとてもうるさく感じるのでした。そしてその時に抱っこしてあげるとさらに重く感じ、イライラまでするのです。

ある日、子供がだっこ~というので、「ママが今腰が痛くて抱っこできないの。おてて繋ごう」と腰を叩きながら言い訳をしたことがあります。その方法を数日間続けたら、子供がいいます。
「私、腰が痛いからだっこして~。」

これは聞いた話ですが、
毎日お出かけする奥さんに対して旦那が「どこへ行くんだ。何時に帰ってくるんだ。」と一々聞いていたそうです。その奥さんは最初旦那が自分を束縛していると感じ、とてもいやだったですが、旦那の「どこへ行くんだ。何時に帰ってくるんだ。」を「早く帰って来てほしい。一緒にいたいよ。」という意味で捉えるようにしたら、旦那の束縛が愛と感じるようになったそうです。

その話を聞いて、人の言葉も捉え方によるものだと思いました。
そして娘の「だっこ」の言葉を「ママ好き~」の言葉に置き換えることにしました。
したら、娘が「だっこだっこだっこ」と言っても「ママ好き~、ママ好き~、ママ好き~」に聞こえるので、少しは重くても我慢できるようになったような気がします。

育児する上で、この方法は効き目があるのではないでしょうか。


← 久しぶりにパパの肩に乗せてもらった娘。
  パパも娘も「いい顔~」のポーズで記念写真

2014年1月15日水曜日

親になることとは・・・今日も子供に負けました。

毎年年賀状を送るのも楽しいですが、もらうのもお正月の楽しみの一つですよね?

今年は特に心に残る年賀状がありました。それは大学教授からの年賀状です。

「謹賀新年
 子供の成長は親も成長させます。
 お子さんに負けないように成長して立派な大人になってください。」 

これを読んだ時、最近しょっちゅう子供の成長スピードに追いつけず息切れしているんだなぁと反省しました。しかし、気を緩めるとついつい子供に負けっている自分がいます。

今日も子供に負けました。

お昼、子供の友達の家に遊びに行くことになり、家を出る前にパンパンとなっているオムツを取り替えようと子供に声をかけました。子供はなにせ第一反抗期の絶頂期。すんなり親の言うことを聞いてくれるはずがなく。。。

私:「オムツ取り替えよう。」
娘:「や~だ~よん。」
私:「オムツパンパンだから、取り替えてから○○ちゃんの家に行こうよ。」
娘:「(私の言葉は無視して、読みたい本を持ってきて)これ読んで。」
私:「これ読んだらオムツ取り替えよう。」
娘:「うん。」

絵本を読んだ後、オムツは脱ぎましたが今度は履こうとしない娘。。。

私:「オムツ履かないなら、○○ちゃんの家に行けないよ。行かなくていい?」
娘:「や~だ~よん。」
私:「じゃぁ、オムツ履こう。」
娘:「や~だ~よん。」
私:「ママ怒るよ。怒ってもいい?」
娘:「や~だ~よん。」
私:「オムツを履かないと怒るよ。怒るね。」
娘:「や~だ~よん。」
私:「(まだオムツを履こうとしない娘に対して声をあげて)オムツ履かないなら捨てる!」

オムツが捨てられるのを見た娘は、ようやくこの時点で「オムツ履く~~~」と泣きだしました。

最近、娘に「片づけないと捨てるよ」と言ってお菓子や歯ブラシを捨て、娘が泣きながら「片づける」と言ったことが何度かあります。いや、娘に「片づける」と言わせたというのが正しいでしょう。

娘はただ「自分がどういう者か」を知りたいが為に、一生懸命に親の言うことに対して反対の旗をあげているだけなのに、それに対して親となる私がとった行動というとキレて怒るか脅迫するかでした。

子供は親を見て育つとよく言いますが、私のこういう姿を見て育てば「すぐキレる」、「脅迫する」人間になってもおかしくないでしょうね。

やれやれ、今日も反省です。
子供はたったの2歳5カ月ですもの。子供に模範となる行動は見せないものの、やってほしくない行動は見せないようにしたいと、心を改めます。


← 韓国の太鼓の解禁。

  娘に初めて太鼓を見せました。
  娘は叩いたり、転がしたり。。。楽しんでました。(^^;)
  

2014年1月9日木曜日

お正月・・・日本と韓国の過ごし方

子供が生まれてから3度目のお正月を迎えました。

毎年お雑煮を食べ、神社に初詣を行ったのですが、今までは訳も分からず行事に参加させられていた娘でしたが、今回はなんでもかんでも興味津々。

年末には、
私が年賀状を書いていると娘も横で「私も書く~!」とペンを持って張り切っていました。

私が年賀状をポストに入れようとすると、娘が「私が入れる!」と年賀状を両手で持ってポストに投函しました。

元旦には、
家族揃ってお雑煮を食べました。娘は、お餅を一口食べると、雑煮の汁をがぶがぶ飲みました。

保育園のお友達から年賀状をもらい、喜びました。

そして神社へ初詣に一緒に行きました。
ちゃんと両手を合わせ、「今年も元気にいっぱい遊びます!」と神様の前で宣言してきました(^^;)。

「よいお年を」、「明けましておめでとうございます」という挨拶は教えましたが、娘は恥ずかしかったのか私の後ろに隠れて言えなかったのです。

今年は娘に韓国のお正月の文化も味わってもらいたいと思っています。

韓国では、まず旧正月を「お正月」としてお祝いします。旧正月なのですから、毎年「お正月」の日付が変わりますが、今年は1月31日だそうです。

韓国ではお世話になった人や友人に年賀状としてハガキではなく、カードを送ります。
ハガキを送る人はいないと思います。

「お正月」の朝は、家族揃って「トック」を食べます。
トックは、普通牛の骨から取った汁に、お米で作った餅を薄切りにして入れ、煮込んだものです。
餅米ではないので、伸びたりはしません。餃子を一緒に入れる場合もあります。
韓国では「トックを一杯食べることで1歳、年を取る」ということになっているので、
子供のときには早く大人になりたくて何杯も食べたものです。

年齢の話が出たついでですが、日本人は誕生日になることで1歳、年を取りますが、
韓国では新年(この場合はカレンダー上の1月1日)になることで、皆が一斉に1歳、年を取ります。
生まれた時点で1歳と数えられるので、12月生まれの子の場合は翌年の1月1日からは、実際1ヶ月にもなってないのに2歳と数えます。
うちの子も日本ではまだ2歳ですが、韓国ではもう4歳ですよ。

新年の挨拶は「セへ ボッグ マニ バドゥセヨ」、直訳すると「新年、福をたくさん授かってください」
です。
日本の場合は年明け前が「よいお年を」で、年明け後が「明けましておめでとうございます」と挨拶が異なりますが、韓国は年明け前後同じ挨拶です。
英語圏でいう「Happy New Year」と同じですね。

韓国でも子供が大人からもらうお年玉があります。
お正月の朝、子供が親にお辞儀(土下座)と共に新年を挨拶をすると、親はそのお返しとしてお年玉をあげるのです。もちろんおじいさん、おばあさん、おじさん、おばさんからももらうのですが、その時にもらったお年玉は大体親の管理下に入るというのは日本も韓国も同じですね。

その他、いくつかお正月限定の遊びがあります。

せっかく私が今休職中ですので、今年の「お正月」は娘を連れて韓国の家族と過ごそうかと思っています。

娘は韓国の文化にすんなり馴染んでくれるのでしょうかね。
それより飛行機、ちゃんと乗れるのか親としては今から期待半分心配半分です。


←トック
   上にあるのが餅ですが、それを薄く切って食べます。











                                  七草粥を作る前に、娘に七草を触らせました。 →
              娘は喜んで見てましたが、やがて草は草だと思ったらしく、
              七草で机を拭こうとしたので、途中で取り上げてしまいました。