子育てをしていると、私自身の幼少期がどうたっだのか気になるときが度々あります。
親がすぐそばにいれば、「私が子供のときはどうだった?」と聞いてみるのですが、
海を渡った韓国にいるもので。。。その代わり、今の私の姿から推測してみます。
私は声が小さいです。
自分は大きい声を出したつもりでも、他人の耳には届かないことが日常茶飯事。
たまに小さい声がストレスになることもあって、私も声がでっかいといいなぁと思うときもしばしば。
私の小さい声。遺伝かといいますといや。。。どうもそうでもないようです。
うちは5人家族ですが、父、母、兄、姉、皆声が大きいです。お盆などに、家族が集まるとうるさいこと、うるさいこと。
夫が初めてうちの家族に会ったときにも、声の大きさに驚いたそうです。
いったいなんで私だけが小さいのか。。。少し疑問でしたが、
最近娘を見て自分なりに納得のいく答えを見つけました。
赤ちゃんって声が大きいですよね?泣き声はもちろん、電車の中で喃語をしゃべている赤ちゃんとか見てもみんな声が大きいです。
赤ちゃんは一生懸命自分の意思を伝えようとして、大きな声を出すのです。
うちの娘(1歳10ヶ月)もかなり大きいです。
あの小さい体から出る声量だとは思えないくらい大きい声で自分の意思を主張しています。
「あ~ん、あ~ん」(泣き声)
「やだやだやだ」
「いたい!」
「おいしい」
「あはははは」(笑う声)
「ママ~おいで~」
「アッパ~」(パパの韓国語)
そんな娘の声が聞こえると、体が自然と振り向きます。
そんな娘を見ていると、私も生まれたときにはきっと声が大きかった。。。と思います。
そこで、私の過去にさかのぼりますと。。。
「おとなしい子がいい子」と思っている幼い自分が見えます。
おとなしいというのは、親の言うことをよく聞く、じっとしている、走り回らない、そして大きい声を出さない。。。
今考えるとそれは大人にとっての都合の「いい子」でした。
そして、幼い私は大人から「おとなしくていい子だね」とほめてもらうために頑張ります。
それが親を喜ばせることだと思ったからです。
「いい子」とほめられるときにはいいのですが、同時に友達と遊べなくて遠くから友達が遊んでいる様子を寂しい気持ちで眺めている自分がいます。
無理して自分の気持ちを殺している子供が見えます。
今は私の中にいる幼い私にこう言ってあげたいです。
「子供なのに、親思いでよく頑張ったね。」
「もう自分の気持ちに素直になってもいいんだよ。それでもいい子だよ。」
「はしゃいでも、大きい声を出してもいい子だよ。」
「だってあなたは神の作品だもの。あなたはあなたのままでいいんだよ。」
← ひな祭りに写真を撮ろうと、
ハンボク(韓国の伝統服)を着せてみましたが、
嫌がる娘を無視して着せたら、ついに大泣き。。。
結局この写真一枚撮って脱がせました。
ヒュ~、やはり泣き声は大きいですなぁ(汗)。
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